2006年05月19日

客が来てくれるのは結局、「店が開いているから」だということ

営業中:上野公園にて
ある晩、見慣れぬオッサンがやって来て、
何か小さなものを手にしながら言った。
「コレ、撮影お願いしたいんだけどさ」
確か、夜10時半は過ぎていたとおもう。
「ハイ、わかりました。で、いつまで?」

「ん、今!」


見慣れぬワンボックス車がウチにべったり横付けされ、
その時期にはもう季節はずれっぽいツイードの上着を着た、
定年の歳は過ぎちゃいるが引退するにはまだ早い、ってくらいの
小柄でシャキっとしたかんじのオッサンが現れた。
かつては製版会社をやっていたのだが、やがて経営がマズくなり会社を閉め、
今では似たような仕事を個人で小さくやっているのだとか。
「シーデー(CDのこと)持ってきたからさ、コイツに入れてもらってさ。・・
・・うん、そう、・・で、JPEGでいいよ。」
ブツ撮りの仕事であるが、オッサンの手にしていたものというのは
発売前の健康食品かなにかのパッケージのようだった。


ウチは大抵、寝る直前にならないと店を閉め切らず、
シャッターの真中だけ常に開けておいてある。
色々理由はあるが実はただ面倒なだけである。
実はこのことが、ウチの商売に深く関わっているということは、
当事者の両親には勿論、部外者であるこの私にも明らかなのだ。

夜遅い時間になんてそう客が来るもんじゃないワケだから、
本当はとっとと店を閉めちまったほうが効率はいいに決まっている。
看板の電気は消してはいるものの、
開けている店は電気消して真っ暗にするワケにもいかない。
来るかもしれないわずかな客のために
これまたわずかな店の経営資源を消費しているのだ。
また防犯面からも決して好ましいことではない。

でもこうしているとやはり、客が来ることは来る。
一番多いのは世間話しに来る常連だが、急用の証明写真や、
明日使う予定のこのカメラがおかしいから見てくれ、といったような客、 
そして最近は本当に少なくなったが、上のようなケースである。


ほんのわずかな、打ち合わせなのかなんだかよく判らない
ぐだぐだした会話の後、
ウチの親父は既に勝手知ったるが如く準備にかかった。
自家出力の手製A3背景紙や簡単な照明・トレペなどを適当にセットし、
ほどなくして写し始めた。
オッサンはそんな状況を別段気にするでもなく、店の端に腰掛け煙草ふかしている。
時間にして20分程度だったろうか。
撮影も無事終了し、オッサンの希望通りシーデーにデータを入れ完了、
そいつを受け取ると、たいした雑談もなしにさっと帰っていった。

で、後から聞くとこのオッサン、
随分昔から年に1、2回程度の頻度で突然ウチにやって来ては、
こんな風にたのむのだそうだ。
こっちは仕事完了即納品、向こうも頼んでほどなく持ち帰り。
デジタルのお陰でこんなのが可能になった。
フィルムじゃこうはいかねぇ。
こんな規模も単価も小さな仕事をこなして食っていくしかない
我々のような極小商売人にとっては、
そんなに悪い時代じゃないかもしれない。

このオッサンもそうだが、
ウチの親父やウチに来るお客、中には70歳をとうに過ぎたじいさん?達で
やれ「JPEG」とか「Adobeガンマ」がどうしたとか、
「拡張子」がどうのとか、しまいには「デュアルコア」がどうのといった
デジタル用語が飛び交っているから面白い。
だって、ちょっと前だと、
立派な大企業でも上の方のクラスのオッサン達には
パソコン満足にいじれる人圧倒的に少なかったというからね。
短期間でそれなりに扱えるようになるのは
やはり好きだからか、それとも生活懸かっているからなのか。


ところで、
話は急に変わってしまうけど・・・。


たとえばEOS20Dあたりのカメラ(ボディ)1台で、
仕事の9割方済ませてるという写真屋があったとする。

カメラ・写真に詳しい方々なら
そんな店をどうおもうのだろうか?・・・。

次号へ続く)

補遺:復活宣言?などしたものの一月も経過してしまい
   申し訳ありませんでした。

東京下町バカ写真屋

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