
特に調査したわけでもないし他との比較も難しいが、
なんか結構多い気がするのだ。
ある国道と大通りとの交差点、
そこにある東京メトロ某駅を中心とした半径約5,6百米内に、
規模や業態の差はあれど
ウチを含め少なくとも6件はある。
皆よく潰れねえもんだなとおもう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある九州出身のベース弾き語り(わかるよね)の、
有名なあの歌の歌詞の中に、
「クラスの半分は同じ床屋で、もう半分はお母さん」
というのがあったが、
私が小学校の頃あたりは、これとちょうど逆だった。
1クラス40何人だったとおもうが、同じ床屋なのはせいぜい2、3人だった
(『お母さん』というのもそのくらいかな?)。
もともと狭い学区ではあったが、都心部の過疎化が進んでいく頃で、
民家密集地域でありながら1学年に2,3クラス程度だった。
であるが、床屋の数は決して少なくなかった、というは
想像していただけるとおもう。
床屋があるなとおもえば、もちょっと行った横丁曲がればもう一軒と、
グルグル回るトリコロールの棒を、あちこちで見かけるのであった。
中には、同じ通り沿いに数件跨いでもう一軒という場所もあった。
それでも当時、その様態を「激戦」などと称するものは
誰一人としていなかったろうとおもう。
考えたわけでもないのに自然と『棲み分け』というヤツが
成立していたのだ。
洗髪髭剃り省略の激安1000円理容店チェーンが登場したのは
つい最近だとおもうが、それよりずっと以前から
人の流出進行に合わせるように
地元の床屋に行くという習慣はだんだん廃れ、
大半は廃業し、年老いた馴染みの客相手に細々と営む店が
いくつか残った(というかんじがする)。
たいてい子供ってのは、
年頃になれば男でもいくらか色気づき?美容院に行くようになり、
そうでなくとも段々身近な大人達との接触を
疎ましく感じ避けるようになる(思春期というヤツか)。
さらに、家業(生業)などやってられっかよ、ということで
会社勤めとなり、より洗練された東京の西側へ移住し、
収入もそこそこ安定してくれば結婚し、
そのまま山手線の西側(山手線内は高すぎ)以西もしくは
「ベッドタウン」と呼ばれる所に居を構えるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなパターンで衰退していった業種、床屋だけじゃないだろうな。
金物屋、乾物屋、電気屋、雑貨屋、薬屋などなど。
みんな量販店で事足りるものばかりだ。
中でも分り易くて悲惨なのが洋服屋とか寿司屋だろう。
近所歩いていると、
年老いた夫婦の営む
まさしく「洋服屋」に出くわしたりするが、
「誰がココで買うかよ」とおもう。
商魂をギラつかせるでも勿論なく、
時代から完全に隔離された、
ただそこに「あるね」という佇まいである。
察するところ、大手アパレルSPA「某U」の倍以上の値段で
品質はともかくお洒落さでは「某U」の足元にも及ばない
現代の消費者の購買欲をそそると言うには程遠い商品が、
狭い店内に力無く陳列されている。
最近売れた形跡は、無い。
一体いつの仕入れのヤツなんだろう。
それに、
近所の寿司屋なんかホント、どうやって食ってるんだろうかとおもう。
回るやつがそこらじゅうにあるのに。
見るのも辛い。
痛々しい。
決して非難しているのではない。
憐れんでいるのだ。
(
次号に続く。ご無沙汰でした。また今回も前置きが長くなりそう。)
Posted by bakashatokyo68 at 22:19
│
Comments(0)
│
TrackBack(0)
│
エッセイ・ウチのこと他