2007年03月10日

ウチの地域は写真屋激戦区かも?(第2回)

ご存知下町お約束の浅草雷門

前回の続き。

こんなタイトルで書き始めたせいか、
実際はどうなのかが気になって
区内で近い所をブラブラしてみた。
駅を中心に半径5,6百米内に少なくとも6件と書いたが、
さらに半径2、3百メートル広げれば
もう4件ほど増えそうだ。
まだあるかもしれない。
これってやはり「写真屋激戦区」なんだろうか。

あ、組合名簿でもみりゃ早かったかな・・。

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ちなみに床屋もチェックしてみたが、
よく見ると前回書いたような「大半は廃業」というほど、
減ってはいなかった(すいません)。
いや前より減っているのは確かなんだけど、
結構しぶとくやっているところが思いの外多かったのだ。
むしろ消えていったのは、
ここ10数年ほど前以降にココに進出してきた
こじゃれた理髪店や美容院のほうである
(ココ↑は、実は本章において重要な部分でもあるが後述)。

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ところで、
東京における「町育ち」なる言葉があるらしい。
愛川欣也司会のTV「アドなんとか」某下町の回で言ってた。
その地に住まいそこで働く者のことを言うそうだ。
つまり職人や商店街などの小さな店、
ウチのような店舗兼住宅のような者を指すのだろう。
でも私にとってはあたりまえのことすぎて、
定義されるのがちょっと変な感じがする。

東京の下町は近年
(東京における下町の定義はややこしいので後日)、
以前にも増してテレビや雑誌等でよく取り上げられるようになった。
一時の最新一流高級志向への反動や、マスコミの都合もあろうが、
私としては単純に嬉しいことである。
がその一方で、
現代の洗練され進化し続ける消費活動に、
もはや下町在来の商人達が対応できないのは明白である。
やがていくつかは自分の商売に見切りをつけ、
会社勤めとなった息子娘らが、引き継いだ店を住宅に変えた。
あるものはバブル期に土地をウマく売り抜けた。
またあるものはバブル後の不況から
商売生活困窮の果てに、土地を手放した。
望まない転出の方も多かったかもしれない。
結果として近所あちらこちらで、
いわゆる「歯抜け」状態の土地が出来上がったのである。

テレビに登場するような
風情人情味溢れる旧き善き下町は、
都内ではほんのごく一部であり、
それ以外の大半は、
電波文字媒体の力でステレオタイプが顕現したというか、
キッチリ演出が為された
プロモビデオみたいなもんである。

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だが今近所は、
それまで歯抜けだった土地にマンションが建ち
〜コインパーキングになったところも多いが〜、
都心回帰ブームのせいなのか人が戻ってきた感がある。
一時は園児が数人となり、閉鎖も囁かれた私の母校の幼稚園も、
今では一学年30人程にまで回復し賑やかだ
(もうすぐココの卒園式の仕事があるな)。

しかし、
私が幼い頃と同様の質の賑わいが
絶対戻ってこないのは解かっている。
今近所ですれ違う人の多くは、
私が幼い頃にすれ違った人等とは違うのだ。

知ってしまったものを
知らなかったことにすることは出来ないし、
味わったり感じたりしたのを、
そうしていなかった時点に戻すことも出来ない。
ネットで下調べして東急ハンズで工具買うようなヤツは、
近所の金物屋のジイサンとこにヤスリ買いに行かないだろう。
そのジイサンだって、
「某U」や100円ショップで買い物してるかもしれないのだ。

次号に続く。

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