前回の続き。
ある米国の経営コンサルタントが自身の著書の中で、
「下りのエスカレータを必死に駆け上っていくようなもの」と、
あることを表現していた。
ご想像つくかもしれないが「下りエスカレータ」とは、
人気も注目度も高いが強い競合が犇めき合っている、
あるいは斜陽産業とか危険だとか低粗利だとか、
一般的に*稼ぎづらいとされるビジネス*のことを指す。
これってたしか、
起業志望者(読者)への助言みたく書かれていた。
チャレンジ精神は大事だが、だからといって
家電激戦区の秋葉原にベンチャー電気店として出店し、
安売量販店に安さで対抗するするようなこと、
つまり、負け戦に限りなく近い挑戦という名の無謀を、
あえてしなくともいいではないか、
という意味だったような・・。
〜*後日付記 07年7月24日
一部語弊がある、というか言葉足らずだった。
『*稼ぎずらいビジネス』は山ほどあっても
『稼ぎやすいビジネス』なんてのはないだろうからな。
これから起業を目指すもの(ここでは個人)にとって
ほとんど多くの魅力的に見えるビジネスというのは、
外からそう見えるだけであって、
実際に足突っ込んでみたらとんでもねえ、ってのは
よく聞く話だけど、そういうことかな。だから、
勇敢に立ち向かうことだけが起業ではない、
小さくてもいいから自分らしさで勝負できる場所を考えてみろ、
というようなことを言いたかったのだとおもう。
後日付記ここまで〜
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さて、
私の身辺でいわゆる
「激安DPEチェン−ン」が目立ち始めた、
というか私が彼等の存在をハッキリ認識し始めたのは
たしか94、5年あたりからだった。
なぜこの時期なのかというと、
私がこの頃職探しで頻繁に求人雑誌を見ており、
その際このテの店の求人が数多く散見されたからだ。
↑店によっては私の記憶よりもずっと前から開業していたり、
経営母体がすでに昔から存在していたケースがあるが、
話がややこしくなるので、その辺はあえて触れないでおく。
前回は非常にダダっ広い話になっちまったが、
逆に、その頃のウチら街の写真屋の経営環境ってのは
一体どんなモンだったろうか?。
今度は身近なところから、
物凄く薄い記憶ではあるが、
なんとか必死に思い出して書いてみようとおもう。
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こんなこというと怒られるかもしれねえが、
それまで写真屋ってのは(私の知る範囲で)
結構緩い雰囲気にあったのではとおもっている。
よくある光景だが、
近所で「最近どう?」「いやーさっぱり」などと
商売人同士互いに渋い顔で他愛の無い会話をしたり、
大型店の進出を嘆いたりしていた。
今に始まったことじゃない。バブルの頃からそんなだった。
だがそんなことを言いながらも、
近場のどの写真屋見ても外側からは、
血の滲むような合理化や差別化などしているようには、
私には見えなかった。
この章の何回目かに書いたように、
地元の床屋同様「棲み分け」状態であり、
必要以上に近隣店同士が激しく競争し合うこともなかった。
というかそうならぬよう努めていたとおもうし、
それが賢いともおもう。
深い協力関係にある店同士だって勿論あった。
食品や衣料、日用雑貨関係の小売なんかの方が
よっぽどシビアにみえた。
差別化なんかしずらいし消費者も日常のものとなると
価格1円2円程度の上下に敏感だからね。
それに大型店の出店や撤退なんかがあれば
その影響もモロに受けるだろうし。
さらに、
「寿司を安価で気楽に」
という意識革命を消費者にもたらし、
それにより街の寿司屋に壊滅的打撃を与えた
『回転寿司』のような存在がそれまで写真屋業界に現れなかったのは、
まったくもって幸いと言うしかない。
外食なんか一番キツそうだな。
なんだかんだ言ってさ、
結構安定していたんだよな、
写真屋業界は。
ウチの周辺では卸やラボの方が
先に逝っちまったんだ。
ホント幸いに
何か特別な自己研鑽などしなくとも潰れなかったが、
それは写真の嗜好的側面と、
撮影の「技術」があったことなんかが
他の苦戦を強いられてきた業種との違いかななどと言えば、
そういった他業種の方々には大変失礼である。
結局完全にはわからないよ、そんな理由なんて。
ただいずれにしても私は、
自分ちが写真屋でヨカッタとおもっているんだけど。
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誤解してほしくないが私は、
ウチを含め近隣同業の方々は皆誠実真面目に
仕事をこなしてこられたものと信じている。
軽蔑するつもりなどさらさら無い。
ただ少々残念なことに、
私の知っている多くの写真屋は、
昔も15年後もほとんど同じ佇まいである。
それが即ち悪であるわけないのだが、
中には一軒くらい、
例えばデザイナーズマンションばり建物で、
こじゃれた今風総合写真サロン的画期的な店(なんじゃそりゃ)に
変貌を遂げたところがあってもよさそうだ。
なぜないのだ?。
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どうやら、
我々の考える誠実さや勤勉さ・日々の態度とは、
一般的ビジネス成功へのベクトルと一致していないらしい。
それらは概ね
「まっとうな商店であり続ける」ことなのであって、
「生業・家業から事業・企業へと飛躍する」こと
ではなかった。
そんな後者の努力を続けてきた店こそが、
現在の大手量販店とか有名専門店なんかに
成長したということなんだろうな。
数少ない凄い連中と、
低レベルで苦しみながらも安定してしまい
そこから抜け出せない大多数。
そんなだから、
賢いヤツ等に狙われるのかな。
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アメリカリョコウバトという鳥をご存知か。
主に北米を中心に生息し、
それまで地球上で最も数が多いとされていたらしいが、
人間の乱獲により絶滅した。
食肉や飼料用、羽毛採取や趣味の狩猟として
かなりの多くの人が捕獲・狩猟に加わったからというのもあるが、
聞いた話によると、
常に群れをなして飛んでいるので
銃で仕留めるのが超カンタンだったらしい。
どこかの業界に似ていないか?。
一部を除けば
戦闘意欲も低く無垢でひ弱で小さな者の群れ。
アタマの良い事業欲旺盛なヤツラには
とてつもなくオイシイ場所に見えたのかもな。
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そして実際に事業展開した彼等は見事「成長」した。
勘違いしてはいけないが、このことは
この業界の売上規模自体が拡大しているという意味では決してない。
「ある新たな一つの業態としての彼等」が成長したのだ。
つまり、彼等が既存店から客を奪ったのである。
何度も言うが90年代なんて、
どう考えても一般DPE市場については
成長期なんてとっくに終わってんだよな。
限られた牌の奪い合いなのだよ。
なんでそんなこと言い切れるかって?。
街の写真屋に来なくなった人達、
何処へ言っちまったのかね。
皆写真撮るの一斉に止めちまったとはおもえないが・・。
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今多くの地域で恐らく、
例えば衣料品について言えば、
売上の多くは高級専門店や百貨店、スーパーや量販店で占め、
それに加え通販(ネット)も店売りを越す勢いで普及し、
夫婦経営のいわゆる街の洋服屋サンはほぼ絶滅状態である。
写真屋もほぼ同様に、
大手量販店や本格的専門店、一流スタジオや
例の彼等のようなチェーン店で客を占め、
我々在来店は御役御免にて絶滅へという筋道は、
今考えても不自然さはない。
ウチら街の写真屋の仕事は
「彼等」に取って代わるのだ。
当事者含め多くの人がそう考えたことだろう。
デジタルカメラが登場するまではね。
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デジタルカメラが登場した頃、
プロを中心に「こんなの仕事で使えるのかよ」
と不安視する声が多かったとか。
しかし急速な技術革新の結果、
その不安は数年そこそこで見事に払拭された。
さらにフイルム時代とのコストパフォーマンス面
での優位性なども強調されて、
あっという間に社会に拡散し受け入れられた。
〜再び高度成長期並みの成長を
誰よりも強く願っていたのは、
実はカメラメーカーさん達かもしれねえな〜
『もうフイルムは必要ないのかもしれない』
カメラ・写真周りのビジネスをやっていく上での
いわば「前提条件」のようなものが、
根底から覆された。
順調に見えた「彼等」のビジネスが、
「下りのエスカレータ」
に変わった瞬間である。
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【補遺】
当月も相変わらず私の妄想が爆走中である。
実は先日、そんな私の妄想もまんざらではないのかも、
と思いたくなるような出来事(あまりイイ話じゃないが)が近所であったんだな。
次号あたりにでも書くつもりだ。
次号に続く。
Posted by bakashatokyo68 at 00:04
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