2007年11月17日

続・ウチの地域は写真屋激戦区かも?(第5回)

浅草にて・コイツもすっかり名物になりました
前回の続き。

しばらく前に
我が家の食卓(というか卓袱台)に、
新聞折込の地元求人広告が
いかにも今読んでるかのように置いてあるのを、
頻繁に見かけた時期があった。

ウチの母がどうやら、
真剣にパートに出ることを考えていたようなのだ。
検討だけで終わったのだが。

近所のあの店の、
あのマズい折込チラシがあったのも、
丁度その頃である。

〜注:本章5回と6回は、筋道がすっきりするように
   若干文章を入れ替えるなど手を加えてあります(12月7日付)。
   既にお読みいただいた方申し訳ありません。〜

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ウチもそうだけど、
あの店もやっぱりキツかったのかな。

その2000年前後といえば、
「流通革命」とか「価格破壊」なる言葉が一般に定着していた。
同時に写真屋界隈は、
私には「底」であるように感じられた。
もう、安くも上手くもない下世話さの漂う年老いた店など、
世間様から必要とはされないだろう〜。
我が家が写真屋という商売に、
最も希望を感じなくなった時期でもあった。

とかナントカ言いながら、
山谷超えてなんとかやってきたのも
事実である。あーなんとも幸せなことか。

今考えるとそれらは、
我々の商売の腕前やら景気がどうのよりも結局、
人間関係の上に乗っかって商売させてもらっていたと、
思えてならないのだ。
だってやっていることは40年前も20年前も10年前も
大して変わっていないから。

勿論それで大いに結構である。

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その一方、
近所ではビルやマンションが増え、
大通りに面したところなどは
大抵一階部分は貸し店舗となっているが、
そういったところに次々と新しい店がやってくる。

だがどういうワケか、
その多くが長続きしない。
飲食店が多いがペットショップやエステ美容関係、
一般向け軽印刷やディスカウント小売、
FCなんかもあったともうが、
どれも結構ウマくいくんじゃねえか、
と思えるものばかりだった。
だが暫くして前を通り掛かると、
何時の間にか店がスッカラカンになって
不動産屋の張り紙が貼ってあったりする。

恐らく理由は売上不振だからなんだろうけど、
その彼等がウチより経営能力が劣るとも考えにくい。
なぜなのだろう。

「なんでもやってみなけりゃ分らねえからな」
とは言わないでほしい。私だってそう思ってるから。

ただ新規出店の彼等は、
脱サラとかして
己の人生をほぼリセット状態でやってくることが多い。
そんな彼等はある意味「丸腰」なのだ。
町会の役員させられたり、何十年も建ってて
町角の目印になったりするウチなんかとは違う。
実際は我々が考える以上に商売上のハンデがあるのかもね。

それとも、
ウチなんかよりも儲けに対してシビアで、
見込みあるかないかの判断基準がシッカリあって
しかもその意思決定(撤退の)が速い、
と考えられなくもないか。

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それからさ、
最寄の同業者の様子なんてのは
別に近所でなくとも、
何らかのカタチで漏れ伝わってしまうものだ。

そういえばこんなことがあった。

ウチがPC入れ始めの頃、
あるお客がSM(スマートメディア)を持ってウチにやってきた。
写真画像データが入っているが
ファイルが開かないのでなんとかしてくれ、ときた。
たしかMacで作ったからどうのとか言ってた。
こっちはWinだしパソコン自体始めて間もないってのに、
Macはなーなどとおもっていたら、
突っ込んで直ぐ開いた。
ただのJpegデータであった。

この件、恐らくそのお客の操作勘違いか何かで、
なんら重篤な問題ではなかったとおもわれる。
そのせいか親父も私もほとんど覚えていない。
ただ、
そのSM本体には小さなシールが貼ってあって、
「○○写真館」と印字されていたのは
ハッキリと覚えている。

そう、その店さ。

次号に続く。

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