前回の続き。
実はこの印刷屋サン、
ウチに来た時こう言ったのだ。
「いやね、切り抜きもあっちにやってもらうとなると、
それはそれで請求されるんですよね、やっぱり。
分かってはいるんだけれども。
今回はウチお客さんからかなり切り詰められちゃってるし
(↑支払う上限がもう決まっているという意味)。
だから本当は自分でやればいいし、
そうしたかったんだけど、なかなか難しくてねー」
そのツイらい事情や経緯なんかを話してくれた。
概ね私の考えていた通りの答えであった。
ただ一つだけ大きく違ったのは、
前回の冒頭で書いた私の台詞のような、
写真屋の無知に付け込んで
タダ働きさせてやろうみたいな悪意は、
この印刷屋サンには全く無かったことだ。
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なぜそうだと言えるのか。
実はこの会話、
どの時点でなのかは定かでないが、
私の知らぬ間に交わされていたものである。
いや、というか、
どうやら最初からこういうことも含めて
話が進んでいたようである。
単に私が知らなかっただけということになる。
知っていたら悪者呼ばわりなどしない(←言い訳)。
イラストレータはあるけど使いこなせない。
この人自身も、
デジタルについては未だあやふやらしい。
親父はこのことを聞きそれを承知の上、
例の作業を引き受けたワケである。
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ここまでをザッと思い返してみると、
本件は別になんてこたぁない、
よくある「ちょっと無理めのお願い」の仕事、
ということだ。
ココで書いたような心配事は、
私のアタマの中だけで終わりそうだ。
切り抜きは自体は今回が初めてではなかった。
当初ウチは切り抜きができず、
パスなんかを教わったデザイナーさんに外注していた。
それができようになったことでその分費用を抑制できて、
だからお客にもそれを請求せずに済む。
一旦出来るようになってしまうと
不思議と以前ほどの負担感はなくなっている。
そうだからこそ親父も快く引き受けたのだろう。
当然お客の方も大助かりである。
これのどこがいけないのだろうか。
全く私がおバカであったと思う。
ということで、
この辺で本件については一件落着、
といきたいのである。
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ところで、
もしウチが
写真屋としての領域を厳しく設定し、
その中で発生する全ての仕事を細分化・課金し、
それにそぐわない要求(客)を断り続けたとする。
「やれる仕事しかやらない」「やる仕事必ず課金請求」「値引厳禁」
などといったことを頑なに守り続けていたとする。
はたしてウチは今頃、
どうなっていただろうか。
想像してみると、
結構恐ろしいものがある。
少々の無理を含めながらも、
仕事を持ってきてくれた客達には、
『あそこ(ウチのこと)では
こっちの要望を全ては叶えられなかった』
という印象が残るだろう。
場合によっては門前払いもあるだろう。
一度そういう気分を味わった人が、
再びその店を訪れるだろうか。
ウチの人間関係は、
恐らく今とは全く違うものになっていただろう。
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随分前にも当ブログ内で書いたことがあるが、
目の前の相手の顔色伺いながら物事進めるような
ある種の「いい加減さ」が
ウチのような店には(時には)必要だ。
なぜなら、
ウチには大した営業力もなく、
集客は人間関係から発生させざるを得ないからだ。
望んでそうしているわけではなく、
結果としてそうなってしまっている。
仕事から人間関係ができあがるのは勿論だけど、
人間関係があって、そこから仕事が派生する、
そんな具合である。
一人一人を思い返してみれば、
何かしら繋がりのある人ばかりだ。
新規のお客を呼んできてくれたのも、
ウチではなく既存のお客である。
こちらが変に拘るより、
少々無理してでも関係を良好に維持してやる方が、
長い目で見れば得策なのである。
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だが、
そういったいい加減さは同時に、
非常に危険な側面もある。
客や取引先に優しい顔だけを見せ続けていれば、
望まない関係を増やしてしまうことだってあり得る。
例えば、
いたずらに安価を訴求すれば、
安さにしか価値を置かない客ばかり引き寄せてしまう。
あるいは、
自分は我慢するばかりであちらの要求を呑んでばかりいれば、
都合よくコキ使われるただの便利屋に成り下がってしまう。
そうなった者が、
そのことを感謝されることなど決して無いことを
(本件で私が心配していたのは↑こういうことである)、
我々は人生経験の中で多少なりとも学習している。
いじめっこ連中が、
パシリにしている小僧に対して
「いつも俺の代わりにパン買ってきてくれてありがとう」
などと感謝することがないように。
だから本当なら、
商品ラインやターゲットを小さく絞っていくやり方〜
つまり、
「いい加減」を許すずっと以前の段階において、
戦略的に自分達を強く定義づけておく
(そしてそれを厳守する)ことが、
ウチのような小さな商売にはベターなのだと考えている。
大して力量の無い者がヘタに仕事の領域を拡大したりすると、
ただでさえ弱いチカラを分散させて、
相対的に個々の仕事を弱くしてしまうだけである。
しかし面白いもので、
許容範囲を越えそうな無理難題を押し付けてくる、
〜例えば相当な値引きとか理不尽なクレームとか〜
そのような客というのは、
自然とあちらからいなくなってくれるものだ
(断わった客に関しては当然だが)。
どういうわけなのか、
そういう人等との関係が長く続いたためしがない。
これホント不思議なコトなんだけど、
馴染みもそうでない人も含めてフツーお客さんは
極めて自然に振舞う。当たり前だ。
ところが、
そんな無理押し付けてきた客の方がその後、
一歩気の引けたというか、
申し訳なさみたいなのを漂わせてるんだよね。
まるで悪意を見透かされるのを恐れるかの如く、
よそよそしいのだ。
なぜだろう。
理由は解からない。
そして、
ウチに来なくなるのだ。
バランスを欠いた関係は
長く続かないということなのだろうか。
いずれにしても、
大学なんかでは決して学べない、
商売のおもしろポイントではある。
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「柔軟な対応」「臨機応変」
というコトバも、
見方や立場が変われば、
「筋が通ってない」「場当たり的」、
というふうになるかな。
重要なのは、
『仕事ここまでやりますこれ以上はダメ』という、
その辺の舵取りみたいなものは結局、
そこの主のセンス一つにかかっているということ。
「その人そのもの」と言ってもいいと思う。
「その人そのもの」、つまり人格みたいなもんだから、
正しいか否か、AさもなくばBといった
ニ項対立的概念はあてはまらないと思う。
どんなに親しい間柄にあっても
厳しいことを言う時もあるし、
情に負けて甘えを許してしまう時もあるだろう。
部下に厳しい人もそうでない人もいる。
アタマ下げてばかりいる人もいれば
下請けサンにやたら強くでる人もいる。
親分がそのようにして振舞う様は、
傍にいる二代目や幹部連中をはじめ社員や家族に、
いいもの悪いもの分け隔てなく
自然と受け継かれてしまうものだ。
そのことに主体的意識の有無はあまり関係がない。
勿論モチベーションの高い者なら
物事の習得度はより高いと言えるが、
むしろ強制も明文化もされていないことの方が
閾下(無意識)に刷り込まれるという点では、
はるかに影響大である。
よく会社や学校などで、
人気者や影響力のある人物の
動作パターンや口癖・ファッションなどが
簡単に周囲に伝染することがよくある。
これとメカニズムは大して変わらないと思う。
周りを見渡せば何人かは必ずいるだろう。
自分でも気付かずに
TVと同じコト言ってる人が。
これが会社内で起これば、
それらは年月を経て
「企業文化」とか「企業風土」とか
呼ばれるものになる。
そういったことから、
私は自信を持って
「仕事とは人そのものである」
と言えるのだ。
なわけで、
ウチの親父が心情的に「よし」とするならば、
それはビジネス的にも「よし」なのである。
その結果が良かろうが悪かろうが、
いずれ全て自分に跳ね返ってくるのだ。
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さて、
本節中程で、
「写真屋としての領域を厳しく設定し〜、
〜(中略)〜想像してみると、
結構恐ろしいものがある」
と書いた。
一つは上に書いた通り、
人間関係維持という側面。
ここでもう一つ大切なことに気付いた。
「職業人としての(技能的)成長」
という側面である。
自分一人だけで成長するのって、
結構難しいと思う。
小学生の頃、
夏休みの宿題が
決まって毎年ギリギリにならないと手につかなかった。
こういうの悪いのは分かっている。
なんとかしなきゃとも思っている。
こういった己の怠惰に鞭打つ戦いは、
大人になった今でも続いている。
そんな我々凡人は、
己の成長のために
人から課題を与えられる必要がある。
イヤ実はいつも与えられている。
誰から?
そう、お客。
しかも無理を言ってくるお客。
次号に続く。
Posted by bakashatokyo68 at 22:55
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