前回の続き。
唄の歌詞のようでなんだけど、
歳をとるにつれ、
過去の色々なことが実は
とても重要であったことに気付いたりする。
恐らく誰にでもあることなのだろう。
特に言えるのは、
物凄く嫌なヤツと思っていた人物が、
とてつもなく大きな学びを与えてくれていたんだなと、
後から気付かされることだ。
ただ少々残念なことに、
それら全てに気付くわけではないし、
気付くのに何十年もかかることもある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この印刷屋を辞めた後、
私はいくつかの会社の面接を受けた。
その中で今でも印象に強く残る話を。
かなり個性的な、
いわゆるアート系の出版社であった。
扱うジャンルの性格から、
大部数を配本するような版元ではない、
小さな出版社である。
出版目録に主な取扱い先の書店一覧が載っていたが
都内がほとんどだった。
アート関係を積極的に置く書店はたいてい都市部にあるし、
「アシ」の問題からも必然的にそうなるのだろう。
営業力が慢性的に不足する
零細出版社ならではの様態なのかもしれない。
音楽や映画でいうところのインディーズみたいだね。
でも、
たった数人の事務所が
よくここまで広げてこれたなと、
素直にスゴいなと思った。
もひとつ特徴的だったのはこの会社が、
出版社には珍しく浅草という
自分にとっては馴染みのある場所に在ったことだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
面接は、
事務所のある雑居ビルの1Fにある
喫茶店にて行なわれた。
面接を担当したのは、
恐らく私と歳が同じくらいの女性であった。
パっと見キレイな方であったが、
当時決して主流ではないダークな装いと
少し憂いのあるメイク、
そしてこれまた当時主流でないショートヘア等に、
アンチ・マスプロダクツ的な何かを強く感じた。
とはいえ実際に話してみれば、
反社会的でもなんでもない、
実に快活で凛とした方であった。
一番最初にこの事務所を訪れた時、
丁度この女性の机を目にした。
その散らかり具合は営業というよりは、
編集者の風情であった。
これは説明が難しいが、どういわけか私には区別がついた。
後に判るのだがこの方が営業担当というより、
編集作業の合間を縫って営業活動をしているだけであった。
そこで専従を一人設けることで、
営業面の強化を図ろうというワケだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前職において私は、
ホントいいところがなかったワケだが、
やはり面接であるから、
謙りすぎないよう注意しながらも正直に話した。
なんとも皮肉なことに、
私の前職での情けない経験は、
面接官である彼女には
優れたものとして前向きに捉えられて話が進んだ。
そこに絡めて一つ訊かれた。
それほどの経験がありながらなぜ当社なのか。
こちらは大して給料も出せないし他にも出版社はたくさんある。
なのに当社を希望するのはなぜか、と。
私は音楽が好きだった。
だからジャンル違いであってもいくらか繋がりであれば、
心を滅して働けるのではと考えた。
そうなれれば、あとはその会社のポリシーなんかに
身も心も染まってしまいたいくらいだ、
みたいなことを志望理由として話した。
咄嗟に出た返答であったが、
決して嘘ではなかった。
この出版社は、
文学、美術、音楽、演劇、映画など、
アートと呼ばれそうなものは網羅していた。
ただそれぞれの趣が普通ではなかった。
文学では「幻想文学」と呼ばれるもの(私自身は全く疎かった)だし、
アンチ・メジャー、今風で言うサブカル系なのかもれない。
フランスものに特に強かったように記憶している。
映画なら当然アンチ・ハリウッド、
そういえばたしか、クローネンバーグ作品や、
ニーノ・ロータ、エンニオ・モリコーネ(この人達はメジャーだな)
なんかの話でも
軽く盛り上がったのを覚えている。
次から次へと話だ飛び出すのでおもわず、
「扱いたいネタが本当にたくさんおありなのですね」
と問いかけた。
「ハイ、あります!」
彼女は応えた。
面接中で最も明朗で力強い口調だった。
口だけでなく彼女の自信に満ちた眼差しも、
同様のことをより強く語っていた。
その時思った。
この人は本当にこの仕事が好きなんだなあ、と。
正直羨ましかった。
この会社に入りたいと本気で思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この面接には手ごたえを感じていた。
話もよどみなく進み、
終始前向きな心地よい雰囲気に包まれていたからだ。
給料の話になる前まではね。
その会社の提示した額と私の希望額には、
2万ほどの差があった。
面接官である彼女は、
この額しか出せないことをハッキリ言った。
事業規模や雰囲気等から、
会社の体力的に実際そうなんだろうとは思った。
だがここで私はこともあろうに、
ほんの少し食い下がってしまった。
この日、唯一かつ最大の失敗である。
自分の能力や相手の状況等を考えてこりゃいかんと思い、
提示額を受け入れる旨のことを言ったが遅かった。
一旦できた「どんより空気」は元に戻らない。
だが私の言う失敗とはコレ↑ではない。
自分の心の奥底にある甘えを
見事に露呈してしまったことだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
色々考えた。
彼(女)等社員たちは幾ら貰っているのだろう。
私への提示額の倍とか3倍とかはないだろう。
あの雰囲気だと大して変わらないのかもしれない。
いずれにしてももっと給料欲しいに決まっている、当然だ。
いやそこで働いていてきたからこそ、
私なんかよりもずっと欲しいはずだ。
だから人を雇うことを決めたのだ。
それがヤセ我慢であろうがなんだろうが、
「私がガンガン売ってみなさんの給料を倍にしてあげます。
だがら私にここで働かせてください」
みたいなことを言うべきだったと思う。
彼女は口にこそしなかったが、
こんな風に思っていたのかもしれない。
「あなたの望む額を払えるくらいに売ってくるのが
あなたの仕事なんだよ」とね。
ここで私はまたしても、
「どうしてほしい」ばかりで、
「どうしたい」「どうしてあげる」の態度を
見事に欠いていた。
成長したようで、
根っこの部分は何も変わっていなかった。
自分の過ちに気付くのに
時間がかかることが多いのだが、
この時はすぐに気付いた。
面接の帰り道である。
ここでの採用は8割方諦めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一週間ほどで合否の通知があるとのことであったが、
期日以内に連絡はなかった。
この時点でこの採用は諦めたのだが、
それからさらに数日後、
ようやくこの会社から封筒が来た。
不採用の旨の連絡であったのだが、
そこには、
最終的に私ともう一人での競合状態であったこと、
結局私より数歳年上で経験者であったその人に決めたこと、
かなり悩んだということ、
そして、そんなわけで連絡遅れてごめん、みたいなことが、
簡潔な文章がワープロ打ちされていた。
受からなかったのは残念であるが、
そんなことよりも、
面接官であった自信とやる気に満ちた彼女と
対比させられたかのように、
逆にそれらが無さ過ぎで子供っぽい自分に気付かされ、
悲しくなった。
しかし、
不採用でもう縁の無い人間であるにもかかわらず、
こういった終始誠実な対応してもらえたことは、
本当に嬉しかった。
この時いただいた名刺と出版目録を、
私は今でも大事に保管している。
ところで何年か前、
新聞で残念なニュースを目にした。
国内の気骨あるアート系出版社数社が
次々と解散・廃業、という話であった。
読み進めていくと、
記事で紹介されていた数社の中に、
私の受けたこの会社も含まれていた。
本当に残念でならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうして過去をザっと振り返ってみると、
無駄なこと(仕事)なんて一つもないと、
あらためて思う。
そして、出会った人がどんな人物であれ、
みんな自分にとっての先生にもなるんだなとも思う。
自分をコキ使ったあの社長も、
写真屋に難しいレタッチさせる印刷屋も。
この回の結びにて、
「過去との因縁」「決着」などという
些か仰々しいこと書いてしまったが、
その答えは最初から分かっていた。
今この瞬間を精一杯生き働き、
そのことを楽しみ自信をもてるようになれば、
そんなもの消えてしまう。
じゃ今楽しくないのか?
イヤイヤ、
むしろ10年前よりも5年前よりも、
今の方が頑張れているし
知恵も自信も付いているし楽しく過ごせている。
ただ誰だって、
過去に手痛い失敗の一つ二つあるだろうし、
その嫌な思い出とともに自分の気に入らない点に
注意が向くこともあるよな、というだけ。
コトの事後検証や原因究明は必要なことだが、
それが行き過ぎて過去に囚われると、
大抵いいことはない。
人から聞いた話だが、
心に何かしら傷を負った人が
独力でその原因究明をするのは、
場合によってはあまりいいことではないらしい。
原因を決定することで、
それが正しいか否かに関わらず
その傷をより深く確定的なものにしてしまうのだとか。
こんなこと考えているうちに、
過去の因縁など、
もうどうでもよくなってきた。
完全解決する必要など無い。
今回のようなある種の「因縁」てヤツが、
三たび自分の前にやって来ないかなと、
むしろ楽しみに待っていようと思うのだ。
それらに対峙し乗り越えた時の充実感たるや、
恐らく並大抵のものではないだろう。
次回からはちゃんと写真(屋)のことを書くことにする。
(『写真屋がパスを描くということ』全12回 終わり)
Posted by bakashatokyo68 at 19:26
│
Comments(4)
│
TrackBack(0)
│
エッセイ・ウチのこと他