2009年04月05日

写真屋の祭典?(第4回)

浅草神社にて・隅田川きもの園遊会2009
前回の続き。

『ちょっとした街の文化人的存在』

こんな風に周囲から思われている写真屋なんて、
はたして今どきいるのだろうか。

この人に言わせると、
昔、街の写真屋はこうだったらしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2番目に登場したのは、
日本写真家協会会長の方である。
「特別講演」と銘打ってあったが、
当イベントにおいてもやはり
スペシャルゲスト的存在なのだと思う。
現在は世界中の子供の写真をライフワークとされている。
日本を代表する某大写真家の弟子でもあった人だ。

この方、浅草のご出身である。
そのことは前から知っていたので、
親近感を感じなくはなかったし、
どんな人かなという興味はあった。
で、ホストの方の紹介いよいよ登場なのだが、
なんとなく威厳のようなものを感じるのは
その肩書きのせいなのだろうか。

だが喋りだしてすぐ、
この方に対する親近感は
以前よりもグっと増したのである。

品のある軽いべらんめえ、とでも言ったらいいのか、
話しなれていて声もよく通り、少し落語家っぽい。
ウチの近所にもこんなオジサンいるかなー、
と思わせるようなカンジだった。

写真家で生まれ育ちが東京下町の人、
結構いるようでなんだか嬉しい気がする。
この方の師匠もそうだしアラーキー氏とかもそうだし。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話の内容はご自身の若い頃や写真屋についてが少し、
あとは、ユニセフ親善大使のたまねぎ頭のおばさん(誰かわかるかな)
と供に世界の難民キャンプなどを回り、
その際ご自身の撮影した写真を見ながらその話であった。

若い頃、
某大写真家の弟子を努める傍ら、
既にご自身でも仕事をとっていたらしい。
その頃の自分を「売れっ子だった」と笑い飛ばすように仰っていた。
結構稼いでおられたようだ。
ある時、某超有名誌からのオファーを
何らかの理由で一旦断わったのだが、
「カネならたくさん出から」と懇願されたらしい。
するとなんと、
「別にカネならたくさんあるからいいよ」と
切り返したとか。

とんでもない自慢話のようで
全くイヤミなく面白く聞かせてしまうのは、
この方のお人柄によるものだろう。

ちなみにこの方のご実家も写真館だった。
空襲で焼けてしまったことで一旦店を閉じたが、
後に再開し、
現在もお兄様が継いでおられるとか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その流れで写真屋の話になった。

この冒頭にも書いたが、
写真屋は昔、
『街の文化人的存在』だったようだ。
この方に言わせるとね。
当時まだ決して一般的ではない撮影技術を用いて
創造的な仕事をするということで、
新進的な印象を周囲に与えていた、とうことなのだろう。
そして、
『今ではその権威も失墜した』と話は続いた。
その理由として、
カメラが小型化され安価になりオートになり
誰でも撮れるようになったことで、
相対的に業者を頼る割合が減ったとか
(当然今日のデジカメもこれに含まれるのだろう)、
そういうことを話された。
だがそれ以上の具体的な提言も批判もなく、
ただ一つの事象としてそれを語るに留まった。
オーディエンスとしては、
もっとビジネスに直結したより具体的な何か、
「どうしてそうなった」「どうしたらいいか」「これからどうなるのか」
などをこの方の口から聞きたかったのかもしれない。

我々業者が近年、
それについて悩みぬいてきたのは事実であろう。
だがその解決を、
100%他人の脳みそに依存してしまうのならば、
それはいわば、
絶対当たる宝くじの買い方を教えろと
言っているに等しいのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後半は、
たまねぎおばざんに同行した難民キャンプ等での写真
(スライド)を見ながらのお話であった。

こういう写真は誰でも頻繁に見かけるし、
私自身も慣れっこになっていた。
そかし、
単なる子供の写真一枚とて、
撮影したご本人によるちょっとした解説が付くことで、
それが地獄絵図の中休みにすぎないことが判り、
寒気に襲われる。

なかには微笑ましいものや、
ユニセフの救済活動の実績等、
未来への希望を抱かせるようなものもあったが、
多くは悲惨な現状をそのまま伝えるものだ。

最も印象に強く残ったのは、
両手両足を切り落とされた少女の写真である。

見事なカメラ目線であったが、
彼女の心はレンズ手前で完全に途絶えている。

この少女、
生きる気力を失ってしまっているかもしれないが、
だからといって自ら命を絶つこともできないのだ。
この方も解説されていたが、
トイレも食事も何一つ一人できない、
他人の介助なしでは生きてゆけない体なのだ。
恐らく、
暴虐を受けた時にできた心の傷だけでは済まされないだろう。
どんなに彼女が前向きな精神の持つ主であったとしても、
何かある毎に他人の手助けを必要とする、
その度に感じるであろう惨めさが、
その自立心や自尊心をも
簡単に握り潰してしまうだろうと、
容易に想像できる。

こういったスライド見ながらの解説が、
特に感傷的になることもなく、
それまでと同じトーンで淡々と続いた。

上の話と同様、
これといって具体的に何かを提言したわけでもなかった。
ユニセフへの支持を訴えるのでもなかったし、
世界各地の紛争撲滅や反戦を声高に叫んだわけでもない。
それぞれがただ一つの事実として、
淡々と話が進んだ。

ただ、
こういった現実を、
我々が普通に暮らしていれば知るはずも無い現実を、
効果的に知らしめることができる。
それこそが(この方が)写真を撮ること、
あるいは撮影技術自体を有していることの、
最大の意義である的なことを、
私は勝手に、
その語りの節々から感じ取ったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、
私の見た限りであるが、
この日の4講演中、
この講演が一番オーディエンスが少なかった。
といっても、
座席は概ねウマっていたようだし、
他の3つでは立ち見が結構でていて
それに比べて少ない、という意味である。
確かに参加者の便益に直接関係の無いテーマとは言えるが、
少々寂しい気もした。
それだけより強く実益を求める人が
多いということかもしれないが。

でも、
今回のこういう話を、
「単なる教養」「街の写真屋には無関係」とか
言い切ってしまっていいものだろうかと、
ふと思うのだが。

この方の講演にはホストの方が就いていて、
冒頭と最後には簡単な挨拶をされていた。
その〆の挨拶にて、
当イベントの簡単な趣意説明みたいなものもあった。
いや確か「提言」と言っていたかもしれない。
半年前のことで文言を詳しく覚えておらず申し訳ないが、
簡単に言うと、
『(地域)社会に積極的に貢献する、
  社会から必要とされる写真館であれ』
みたいなことだった。

覚えている範囲で言うと次のような事柄である。

・家族の絆こそが社会発展安定の礎であること

・その大切さを実感することに、 
 『家族写真』の存在が一役買っているということ

・『家族写真』をより多く撮ってもらうことで、
  家族の大切さや絆を再認識してもらう

・それらの安定的な需要増とともに、
 写真館の社会的地位向上を目指す

・両親を失った子らのための基金設立

乱暴な説明で申し訳ないが、
まこんなところだろうか。

この話を聞いているうちに、
先程の会長のお話が直接関係ないどころか、
この趣旨をより深く理解させるために、
あえて『家族の絆』の正反対の姿を見せたのではと
想像してしまった。

写真というヤツが、
家族の絆を築いたり再認識したりできる
ツールというのならば、
家族の絆どころか、
その家族を失ったり
自分が深く傷つけられたり、
信じるもの、希望、
絶望の末咽び泣く力さえも失った有様を
残酷なまでに克明に写し撮る、
それもまた写真なのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真とはやはり、
それ自体が既に価値のある存在なのだ。
そしてその技術を有していること自体もまた、
同様に価値のあることだ。
「あたりめーじゃねえーか」
「なにクセーこと言ってやがんだよ」
とか言われてしまうかもしれないな。
だが果たして、
我々業者がそれをどの程度自覚しているのだろうか。
当たり前すぎてもうそんなこと考えないかな。

これは本当に私の個人的感覚なんだけど、
写真屋じゃない一般の人等は、
我々業者が思っている以上に
とても写真を大切にしていている。
その大切に思う気持ちとは、
技術的側面や金銭的価値を遥かに超越した
情緒的結びつきであり、持続性のある感動なのだ。
カメラ経験者がハナで笑うようなしょーもないスナップだって、
人によっては一生の宝になる。
一枚一枚に纏わる物語は、
決して替えがきかないこの世で一つのものだ。

やっぱり「当たり前」と言われてしまうかな。

残念ながら業者の考える
写真における満足の中心とは恐らく
「技術的達成感」
「費用対効果」
であろう。
勿論それを目指すのは当然なのであるが、
それらは一般消費者の満足や感動と
必ずしも一致するわけではないことを
我々は解かり切っているはずなのに・・。

この「当たり前」を
知っているか否かが問題なのではない。
皆知っているのだよねそんなこと。
知っているクセに、
そのギャップが何かを知る努力や、
そのギャップを埋める努力をせずに、
商売がダメになっていったのを立地とか価格競争とか、
あるいは素人には判別できないような
細かい技術のせいにしてしまう。

そういう分析も当然大事だが、
どの方法論も結局は要件の一つにすぎないし。

たった一つのダイエット方が、
一時的に痩せさせてくれたとしても、
生涯続く総合的な健康を
もたらしてくれるわけではないのと一緒である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

技術が伴わなくとも、
感動することもさせることもできる。
しかしそこに確かな技術が加われば
その何倍も感動することができる。
それを知っているのは我々写真屋だ。
単なる記録的一枚が、
何度見ても心熱くする生涯の宝に変わり得る。
そのことを伝えられるのは他でもない、
技術を持った我々写真屋なのである。

『写真ってね、ホントにいいものなんだよ』と、
我々業者こそが、
自信をもって堂々と
大声で言ってあげるべきである。

しかし、
人は本気で心に思っていないことを
実行に写すのは難しい。

我々業者が、
幼い子の成長記録をみて感じるような喜びを、
己の仕事の中に今一度、
見出してみる必要があるのかもしれない。

そういった「感動」に気づかせるために
あえてその対極である「地獄」を
我々に見せてくれた。
写真とはそれを知るための素晴らしいツールであると。

そう考えれば、
納得がいくのだ。

強引かな?。

次号に続く。

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この記事へのコメント
催促してしまい申し訳ございませんでした。
余計な事ですが、内容と長さから2回に分けてもよかったのでは?ごめんなさいね。ほんと余計なことで・・・

ちょっと辛口になりますが。
たまたまなのか、商売熱心だったのか?
うまく生き残った写真家が、
悲惨な現実を撮った写真を示し、
その逆説となる家族写真の重要性を説いている。
この種の展示会に初めて来た人には有効かもしれないが、
耳にタコのありふれた話しですね。

現場の人たちは、お題目を聞くためではなく、
現実的な商売のタネ・ヒントを求めているのでは?
現状のお客さんにアピールするための商材を求めているのでは?
何か目を引くものはありましたか?


Posted by ネコさん at 2009年04月05日 12:40
商売は、儲けること。

儲け処や、展開は、
誰もが知りたいコトでしょうが、
絶対に必要なのは、
プロセス。

エンドユーザーは、
具体的に、誰か。
そのひとに、どう思ってほしいのか。
無くてはならぬ 理由は、何か。

たぶん、写真業界では、
東京下町写真屋さんの、
おっしゃるコトは、
陳腐なコトかもしれません。

しかし、
商売人に、よくある事ですが、
それが、絶対、基本に無いと、
商売は、必ず、焦点ボケをして、
売り方が、途中で、
よく解からなくなるのだと
思います。

かつての、パノラマ写真や、
年末ポストカードのような、
ある意味、短絡的で、効果的な売り上げが
期待されるモノではなく

基本(家族かどうかは分かりませんが)を押さえて
そこから、○○という商材が、
世の中に必要なのだ という
プロセスは、絶対必要。

東京下町写真屋さんは、
そう言いたいのかなと
思いました。
Posted by フラフラです。 at 2009年04月05日 18:34
ネコさん

コメント冒頭の件は仰る通りです。
もう何年も書いてますが相変わらず
計画的な投稿ができないのはやはりマズいですね。
以後精進します。

さて、
コメント欄次数制限のため3回に分けます。

私は具体的方法論を追い求めること自体を、
否定したこともないですし、するつもりも毛頭ありません。
すでに問題点がフォーカスされている方なら当然、
手段を選択開発実施する方向へ進むのが至極当然ですし、
自ずと見つけられるのでしょう。

ただ、
これは当ブログにて一貫して申し上げていることですが、
単独の方法論はビジネス全体からすれば要件の一つであり、
それがビジネスの問題を根本的に解決してくれるかどうかは別、
ということです。
勿論個別の手段が全体を解決することだって当然あり得るでしょう。
何がいいか悪いかではなく、
一人一人それぞれが己の責任において
数ある手段の中から何かを選択し或いは棄てて、
その結果に責任を負う、やり続けるか止める、ただそれだけ。
というように考えています。

Posted by 東京下町バカ写真屋 at 2009年04月05日 23:00
「何か目を引くものはあったか」とのことですが、
詳細は割愛しますが、大いに役に立ちました。
それは私が『どんなことでも役に立つし意味がある』という、
特に根拠のない思い込みで生きているせいかもしれません。
レタッチの件などは早速試してみて手ごたえも得ましたし、
イベント各所での演出や訴求方法なんかも大いに参考になりました。
でもそのことで、急に我が家の売上が上がったりはしません。
これを「役立たず」と言われれば、正にその通りです。
ご参加のどの企業さんの売上にも全く貢献していません。

ですが、役に立つかどうかではなく、
「ここから何か学べる点があるはず」とはずっと考えていました。
だから当記事を書けた、イヤ捻り出したのでしょう。

ですからそういう意味では、
具体的問題点を突き止めツールを探している方、
或いはネコさんのように
それらを提供されている立場の方などの、
すでにビジネス上の課題やニーズ、ターゲット等の
ハッキリしている方からすれば、
本稿は素人の戯言と言われても私には言い返せません。
同様に、
この大先生の講演をどう受け止めるかなど、
私にそれをとやかく言う筋合いなども持ちえません。
Posted by 東京下町バカ写真屋 at 2009年04月05日 23:04
私は写真の世界に足突っ込んでまだ数年です。
正直このイベントに具体的何かを求めて来たのではありません。
「この業界って実際どんな雰囲気なんだろう」という感じです。
そんな私の満足と、
「売上をなんとかして半年以内に3年前のレベルまでに回復を」
「でなきゃ3人ばかり減らすか・・」
という方の満足とを、
比較するのはむずかしいです。
ですがそんな素人だからこそ、
商売ベテランのおかしな点を指摘できたりします。
極例ですが店もキレイでやっていることも商品もイイのに、
舌打ちするクセがありそのせいで客に嫌われている、
でもってそれを本人が気づいていないとか。
このテの例って実はかなり多いですよ。
まあこれも方法論の話になってしまいますが。

飲食とかクレームの多い業種の人の話、
かなり勉強になります。

ただ、
ネコさんという現場の方からの
率直なご意見を聞けるのは、
私だけでなく当ブログにお越しの皆さんにとっても、
大変有意義なことです。本当にありがとうございます。
第一線でご活躍の方からすれば
このブログも戯言にすぎないのかもしれませんが、
頂戴するご意見には誠意をもってあたる所存です。

重ね重ね長文お許しください。
Posted by 東京下町バカ写真屋 at 2009年04月05日 23:05
フラフラさん

いつも本当に恐れ入ります。

補足ありがとうございます。
でも、本文はしんどいクセにコメントはサラサラ書けるのは
どういうことでしょう(笑)。

以下は私のブログの出発点とも言える部分になります。


商売が儲からなくなると、
誰でも落ち込むし自信もなくします。
ただそれがある程度を越えてしまうと、
社会や制度や業界、つまり他人の悪口を言い始め、
やがて自分(の商売)にさえ毒づくようになります。
それまでの自分の努力を、無駄かの如く吐き棄てたりします。
たまたま私の周りの人だけかもしれませんが。
ウチも私もかつてはそうでした。腐ってました。
で、そういう者に限って
外にばかり方法論を求めがちになり、
それで自分は救われるのだと思ってしまいます。
そもそもビジネスや人生における『十分条件』なんて、
そんな魔法はほとんど無いんですけどね。
あまりに満たされなくて依存体質になり、
わけわからなくなるのでしょうか。

でも、
不摂生を改めない者がいくらサプリ飲んでも
健康にならないのと同様、
己に喜びとか感動とか愛着とか
そういうものを感じたり生み出せない者に、
一体どんな風に他人を感動させられるのでしょう。
一体どんな素晴らしい道具が見えるというのでしょう。

やはり私、まだ「青い」のでしょうか。

商人は商品や技術・方法(つまり必要条件)を磨き駆使すると同時に、
「自分は一体何者であるのか」を、
常に強く己に言い聞かせる必要があると考えています。
今のような辛い時代にはなおさらです。
なぜなら、
腹に一本筋の通っていない者は、
ちょっとしたストレスにすぐやられたり、
マスコミのネガティブ情報にビビって軸がぶれます。
分かりやすい例だと怪しい商材や儲け話に手を出したり。

万策尽きたら基本に返ればいいとおもいます。
商売替えるのも止めるのも自由です。
Posted by 東京下町バカ写真屋 at 2009年04月07日 00:05
写真屋さんという職業はとてもいい仕事ですが、
とても難しい職業でもあります。なぜなら、
カメラハードはどんどん専門性を消す方向で作られ、
プリントもおうちでできるよっとけしかけられています。

写真を焼かなくなった原因は何でしょうか?
生活環境の変化もあるでしょうが、
私は写真の楽しみ方が変わらないからと思っています。
ほとんどのユーザーは、写真に写りこんだ家族なり、
ペットなりが好きで、アナログかデジタルか、
ニコンかキヤノンかはどうでもいいのですよ。
必要なものは、写真(画像と言ってもいい)を残す動機で、
カメラのハードではないと、断じてないと思います。

しかし、業界そのものはいつまでたってもハード優先です。
PIEが来年からカメラと機材に分かれ、別開催になります。
原因は、後援5団体だかの紛争です。
ここの人達はユーザーを見ずに、大企業ばかり見ています。

どの業界も大差ないのかもしれませんが、
写真業界の古きよき時代を味わった人達は、
旧態依然の狭いテリトリーしか見ていない人が多いので、
思わず書いてしまいましたが、
そんなものより若い人の戯言を聞きたいと思っています。



Posted by ネコさん at 2009年04月07日 00:23
ネコさん

大変貴重なお話ありがとうございます。

私は生意気にも、
自分を中心に半径数百メートル以内のことを基準にして、
ビジネスを語っていただけなのかもしれません。
ウチのような零細商店なら、
身内など身近な人やコトを
心の拠り所として仕事に励むことができますが、
大企業や大きな組織の方などは社会的責任も相当重く、
また利害関係なども複雑でしょうし、
キレイなことばかり言っていられないのでしょうね。

この業界が所詮ハードに牽引されていること、
それに対するユーザーの思い入れの程度なども、
まったく仰るとおりだと思います。
写真屋の存在意義への危惧も同様です。

ただ、仰っていた消費者の『動機』の部分については、
啓蒙したり推進したり、我々写真屋が何らかのカタチで
関与していく余地がまだ残されているのではと考えています。
ウチのような安くもない店にわざわざデジカメプリントを頼む客が、
なぜそうするのか、その理由なども大変興味深いです。

そんな風に考えるのは、
ウチが店をかまえた地域商売で、
結果としてエンドユーザー(ご近所さん?)と緊密な関係を保つという、
その辺からきているのかもしれません。

この辺の目に見えないウェットな部分が、
大企業にも業界の慣習にも侵食されない、
我々に残された僅かな聖域なのだと思います。

業界や大企業を変えることはできなくても、
自分の努力で周囲数十メートル以内の人に影響を与えることは
可能だと思います。

またそのことが、
私が写真屋稼業にまだ失望していない理由でもあります。


今回はネコさんから頂戴したコメントのお陰で、
軽いアタマの棚卸をさせていただきました。
辛口も大歓迎ですのでお手隙の時にでもまたお越しください。
Posted by 東京下町バカ写真屋 at 2009年04月07日 23:01
お元気?うちのPC壊れちゃってさ、買い換えたんだ。それで君のメールアドレスがわからなくなっちゃったんだ。そんなんで悪いんだけど空メールでも何でもいいんで送ってもらえるかな?ブログのコメント欄でごめんなさい。
Posted by KSG at 2009年04月09日 18:05