2010年08月01日

『東京下町バカ写真屋』も5周年ということで(第18回)

今年の入谷朝顔市にて
前回の続き。

前回の冒頭では、
容易く入手できない情報(元)の代表として、
高額で少人数のビジネスセミナーを例とした。

じゃあ容易く入手できる
情報(元)の代表ってなんだろう、

テレビかな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔アメリカのテレビドラマで
『奥さまはナントカ』というのがあって
日本でもかなり流行った。
もう何度も再放送されているので
世代に関係なく多くの方がご存知だろう。
魔法使いの奥さんとフツーの人間である旦那、
そしてその一家の話である。

数年前にたまたま再放送のある回を見て
ちょっと驚いたことがある。
その回を見るのはその時が初めてだった。

主人公夫婦が近所で少年草野球の試合を観戦していた。
贔屓の地元チームが苦戦している。
特にピッチャーの少年が火だるま状態だ。
そんな少年を不憫に思った魔法使いの奥さんは、
自分の魔法で彼をなんとかしてあげようと
人差し指を鼻にかざしかけたその時だった。
旦那がさっと奥さんの手首を握り伏せ魔法を遮った。
そして強くこう言った。

「いいかい、そんなこと(魔法で助ける)
 絶対にやっちゃだめだ!。
 あの少年のためにならないぞ。
 助けたい気持ちはわかるけど、
 人間は誰だって自分の力でなんとかしなきゃいけないんだよ。
 他人の力で勝たせてもらった彼がどうなるか、
 あの彼の将来を考えてみろよ!」

まったくもって正確な記憶ではないが、
まあ概ねこういう内容のやりとりだった。

とても感動したのだが、
それ以上に興味深く感じられたのは、
「アメリカの話なのに俺(日本人)でも感動できる話だ」
という点である。

「あの国とではこんなに違う価値観」とかいうテーマは
新聞テレビ雑誌等でよくネタになる。
しかし、
「これについては両国でも価値観は同じ」
というケースはあまりお目にかからない気がするが、
どうだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エピソードその2

7、8年位前だったかな、
日曜日夕刻のまじめな番組での話。

トーマス・エジソンのつくった会社が
現在では世界的な超一流企業となった。
一時そこに就任して大鉈を揮ったある名物社長と、
その企業のエリート育成のシステムについて、
なんかの話だったと思う。

その方というのは、
ビジネススクールや経営学やマーケティングの
テキストにも載るような有名な方である。
戦略論などでは必ずとりあげられる定番とも言える。
「市場での競争力1位2位以外の事業は全部売り飛ばして
 残った事業に資源を集中させろ」と最初に言った人だ。
工場の外面そのままで中身(業種)を入れ替えるような
過激な事業転換も平気で要求したと言われていることから、
ニュートロン・ボム(中性子爆弾)とも呼ばれたらしい。
とにかく豪腕辣腕経営者として世界的に知られている有名な方だ。
そんなエピソードから私も
やっぱり鬼社長みたいなイメージを持っていた。

番組の当人へのインタビューでは、
仕事だけでなく個人的なことにも及んだ。

「あなたは精力的に活動するイメージがありますが、
 子供の頃はどんなかんじのお子さんだったのですか?」
女性インタビュアーが訊いた。

「実は、吃音(どもり)があってね」

これは意外だった。
話からすると、そのせいでちょっとした
イジメられっ子みたいだったらしい。

そんな自分を見て母親がこう言ったらしい。

「いい、あなたはね、実はとても頭がいいのよ。
 だからね、あなたの頭の回転がとても速すぎて、
 あなたの口がついていけないだけのよ。
 だから何も心配する事ないのよ。
 大きくなれば自然に直るから。」

まあこれも正確な記憶ではないが、
こういう内容のことではあった。

この質問直後の女性インタビュアーは、
目を大きく見開いたまま上半身を
鞭打つみたいにゆっくり前後に動かし、
「なんて素晴らしいお母様なんでしょう!」とは言わなかったが、
そういう意味がハッキリ感じ取れるジェスチャーをした。

劣等感で傷つき縮こまった幼い少年の自尊心は、
この一言でどれほど救われたことか。

程度の差はあれ誰でも欠点はある。
それを指摘して自覚させてやることが、
その人のためになるとか親切だとかいうふうに
考えている人は多いだろう。
分別のつく大人には必要な時があるだろうが、
子供の人格形成なんかを長い目で見たらどうかね。
そんな連中が吃音の子供を見たらこう言うかな。

「お前は病んでいる」
「お前はダメな子だ」
「病院に行きなさい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エピソードその3

数日前、
たまたま某動画サイトを見ていた時のこと。

それは一年前の今くらいの暑い時期の映像だった。
某テレビ局のニュース映像である。
どうやら酷暑ぶりを伝えたい内容のようだ。

夏休みになるとよくある、
テレビ局敷地内で開催されるイベントにて。
リポーターの女性が温度計を手にして、
アスファルトの照り返しで地表近くは40何度と、
体感的には強烈に燃えるような暑さと伝えていた。

リポーターが場所を移し、
『おーっと、こちらも熱く盛り上がっています』と伝えた。
女性アイドルグループのステージである。
地獄の炎天下にもかかわらず多くのファンが盛り上がっている
(ほぼ男性)。

そのファンの一人にリポーターが声をかけた。
『いやー盛り上がってますねー、ちょっと測らせてください』
とか言って手にしている特殊な温度計の、
恐らくセンサー部であろう部分を彼の前腕に当てた。
体表温度を測ろうというのである。
その彼の腕は日差しで真っ赤になり、
水玉の汗で何もかも滑り落ちそうに見えた。

「35、○度・・あれ、それほどでも・・」

その日は体感温度は40何度だと伝えたばかりだ。

温度計を当てられた彼がボソっと言った。

『盛り上がりが足りないっすかね(苦笑)・・・』

と、ここで映像は終わる。
どうやらこれがオチのようだ。

これまた正確な記憶ではないが
こんなような内容の短いTVニュース映像であった。

「ふーんなるほどねー」
と私は納得しそうになったが、
ちょっと考えて
「もしかしたらコレまずいのではないか」
と思った。

こういうことだ。

人間の肉体は、
「過度の体温上昇を防ぐ為」に汗をかく。
「余計な水分を体外に排出するため」とか
勘違いしている大人が未だに多いようだが、
あくまでも体温を維持するために
血中の水分を体の外に出し体表を濡らし、
気化熱の原理で体表の温度を下げることで
体温を維持しようとするものだ。
試しに今くらいの時期に大汗かいた時に
自分の腕にでも触れてみるといい。
意外と冷たいものだ
(掌が熱ければ特によく分かる)。

でこのニュース映像について言わせてもらうと、
真夏に大汗かいた中での体表温度の(相対的)低さというのは、
人間の基本的なメカニズムの一つであり、
そのアイドルファンの彼の盛り上がり方が
足りないのでもなんでもないのだ。
気温や運動の強度に比例して
体(表)温が上がるだけ上がるようなら、
人間は死んでしまう。

高校の生物の授業でやった記憶がある。

ところが、
そういった自律神経関係に知識のない人が
たまたまこのニュースを見てしまったらどうなるだろう。
この話の流れでは、
「うん、たしかにこの暑さで体表温度が低いのはおかしいね、
  やっぱり運動量が少ないからかな」
などと曲解してしまったとしても、
不思議ではないと思う。

テレビってこんなんでいいのだろうか。

例えば、
少々突飛な想像だが、
その辺に無知な人物が運動部の監督だったらどうだろう。
猛暑の中部員たちをシゴき、
小休止の際に体表温度測定器を皮膚にあてては
36度を下回ると「やる気あんのかー!」とかカミナリが落ちる。
まあそんなことやっていれば
脳が血中の水分不足を察知して発汗を阻止してしまい、
いずれ本当に体温以上の体表温度になるだろう。
そこまで発汗が進めば水分だけでなく
ナトリウムとかも排出されてしまっているだろう。
こうなれば死はもうすぐだ。

毎度馬鹿な妄想だが恐ろしい話である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上の3つの話で、
日米比較なんかをしたかったのではない。
媒体比較でもない。

私もこのブログ内で
マスコミを悪者呼ばわりすることもあったが、
一方でマスコミに依存しきっているような(しかも自覚無し)
私たち大衆の態度にも問題がある、
と思っているしそう書いてきた。
そんなテレビを糞媒体とか呼ぶ者もいるみたいだが、
その糞(毎度ごめんね)の中から
自分だけの宝を掘り出す事だって可能なんだ、
ということを言いたかったのである。
もう何度も書いているが、
何が誰がどうやったら正しい正しくないとかではなく、
自分が多くの中から何かを選んでいるに過ぎない、
ということなのだと思う。

まあ実際に私も、
テレビも新聞もあまり見なくなってしまった。
そのことで特に困ったことはないが、
だからといって完全に縁を切るつもりもない。
それらに接する時はかなり批判的な態度ではいるが、
だからといって完全に信じないわけではない。
極端な行為は自分のためにならないと思うからだ。


『糞の中から自分だけの宝を探す』

肥溜めに手を突っ込む決意をするのは
『自分』なのであって、
政治家でもマスコミでも上司でもセミナー講師でもない。
また、
肥溜めにこそ何か素晴らしいものがありそう?
などと思ったり感じたりするのも当然『自分』である。
助言を受けたり影響を受けたりすることはあっても、
最終的にそれを決断するのは自分であり、
当然どのような結果になろうが自分の責任である。
「昔から慣れ親しんだから」とか「一所懸命やった」とか
色々理由付け(いい訳)したくなるが、
時間・環境・教育水準・性格・作業の度合いとかは、
意思決定のための一要素に過ぎない。
また当然のことながら、
「べつに肥溜めに手を突っ込む必要なんてない」
という意思決定をしたっていい。
勿論まったく別の選択肢もあるだろう。
安易な方法より苦行を選ぶことが尊いなどと
考える必要もないし(日本人そういうの好きだよね)、
そう決まっているわけでもない。
自分が決めるのだ。
コツコツやってもいいしヤマはってもいい。

あーまた似たようなこと書いてしまった。

意思決定とは決して二者択一ではない。
数ある中から何かを選択する行為である。
答えが一つである必要もないし、
組み合わせも自由である。

私たちの日常は、
そういった意思決定の連続であるが、
そこにいちいち自意識が働くことはない。
うまくいけばそれで問題ないが、
マズかった時、
それは『被害者意識』に姿を変える。

「政治家なんてみんな同じじゃねーか世の中変わんねーよ」

「この辺は人口減ってるから商売向いてないよ」

次号に続く。

人気ブログランキングへ・クリックお願いします!



この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
ある経営のカリスマのような方の
セミナーを受けた方の話です。

とある儲かるマーケットを紹介され、
動くように言われていましたが、
この方、数年間、動かなかったのです。
動くのがイヤというのが、その理由。
しかし、自分のヤル気の無さを棚に上げ、
『あの先生は、おかしいコトを言う事もあるから』と、
ひとのせいにする始末。

情報を生かせないというより、
目を曇らせる理由には、
自分が正しいという前提や、
自分の間違いを認める=自分を損ないたくない。
そんな、過剰な自意識と、他への理解能力の無さが
理由なのでしょうか。
Posted by フラフラです。 at 2010年08月02日 19:53
いつも恐れ入ります。

「やる気のなさを棚に上げ」「自分が正しいという前提で」など、
フラフラさんが実際にそうお感じなら、きっとそうなのだと思います。
ただその方も、ご自身の意識の中身がどうであれ、
『動かない』という意思決定をされたことにはなりますね。
であればどんな行動をしようがしまいが、どのような評価を与えるか、
その人の責任において全て自由です。
その方について私が申し上げられるのはここまでです。

面白いもので「大人も必死に勉強するぜ」と書けば、
「勉強不要ならそれでいい、自分で決めろ」ってのも認めたいのです。
この両者は矛盾しません。何度も書いてますが、
意思決定とは即ち二項対立概念とは言えないからです。
今回の3つのテレビ話も恐らく、
私がこんな「ブログ書き」だから思い起こされたわけで、
「コレいつか役に立つ」「将来アレに活かそう」とか
考えながら情報収集して記憶していたワケではありません。
ですが役に立つか否かを即断することよりも、
そうやって単に物事を二手に分けること自体が私には窮屈です。
素晴らしいセミナーの受講後即行動か否かそれ以外か。
本来そこには決まりも善悪もなく、方向付けがあるだけで、
全ては参加者に委ねられています。
ですから、その価値が参加者全員にとって
均一に即時即決することも恐らくないのです。

その結果を表現した文言にも個性や好みがあるでしょうね。

私も随分エラそうに批判やってきましたが、
その一方で、批判先の人の目線や考え方も考慮したいな、
と益々思うようになっています。
それなりの量書いていくと色々気付くのです。
他人批判は結局、巡り巡って自分批判にいくのではないか、と。
ですから、
いただいたコメントの終わり4行は私にとって示唆的ですね。
他人の意識を論じている私の意識にこそ、
苦い闇があるのだなと睨んでいます。
Posted by 東京下町バカ写真屋 at 2010年08月03日 21:50