2010年11月01日

写真屋の差別化って何だ?(第2回)

上野広小路にて
前回の続き。

客足や売上が落ちてきたりすると、
「何とかしなければ」という焦りがでてくる。
その後何かしらのアクションがとれるのは優秀な人である。
多くの人はそう思っているだけで何年も経ってしまう。

勿論ウチは後者である。

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暫く前にテレビで、
「生前に遺影を撮影しておく」
というドキュメンタリー的番組を偶然見た。
ある地方の老人養護施設での話だったかと思う。
死を意識する世代にあえて遺影を撮影することを通じて、
もっと明るく前向きに死を受け入れようとかいう趣旨だったか、
詳しいことは失念してしまった。

施設全面協力のもとに撮影は進行した。
老人たちは皆好きな格好をして臨む。
紋付袴だったりスーツだったりと。
撮影にあたるプロカメラマンが積極的に話し掛け、
昔話や自慢話、趣味など色々引き出していく。
そうするうちにその人の、
もっともその人らしい姿が現れるという。
その瞬間を収めようというわけである。

確かにこの番組を見ていて私にも、
この老人達の表情が幾分変化していったように見えた。
誰だって自分の話を聞いてもらえるのは気持ちのいいことだ。
そうやって話を引き出すカメラマンの方の人柄力量もさることながら、
写真を撮るという行為には一種のセラピー的要素も含まれる
(というか盛り込める)のかなと、
余計な妄想も膨らませていた。

ベタ焼きからベストショットを選定しプリントを経て、
番組の終盤にはいよいよ生前遺影写真のお披露目となる。
黒縁フレームに入ったモノクロでスクエアフォーマットのやつが、
ホールの壁伝い横一列に並べられた。
ゆらゆらと入ってきてはそれらに見入った老人達に、
遺影という言葉から連想する悲壮感は皆無であった。
小さな歓声すら上がった。
ある人は自分のものを見つけては笑い、別の人は恥ずかしがり、
自分以外のものでも見つけては笑顔であーだこーだと言っている。

番組中老人達の表情が最も華やいだのは、
この時だったと思う。

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恐らく多くの写真関係者がコレを見ていたに違いない。
なぜそう思うのかというと、
最寄の同業者(写真館)が、
店頭で『遺影撮りませんか』とタイミングよくやり始めたからだ。

こういった出来事があると、
どこの業界でもいち早く察して組合報やらで知らせたりするものだが、
写真屋近辺ではどうだろう。
私自身もこんなブログやっておいて、
最新の写真屋業界に精通しているわけではない。
というか完全に遅れている方だと思う。
業界の催しなどにも殆ど行かないし
(というか本当は行きたいけど余裕が無い)、
このテの情報が行き交っているかどうかということすら知らない。
ただもしかしたら、
何らかのアナウンスがあったのかなと想像しただけである。

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『便乗』という言葉がある。
どちらかというとネガティブな意味で使われることが多いようだが、
勢いのついたものに便乗するというのは、
ビジネスでは必須の能力であるように思う。
市場や商品の「成長期」とはまさに、
今後勃興しつつある何かに
多くの者が便乗している状態を言うのだから。
なぜそうするかって、
そうした方がよりラクに儲かるからである。

便乗されるような状態にある商品は、
そうでない商品よりも売るのが簡単だ。
人々の注目や関心、そして欲求が高まっているからである。
そうすれば商品知識などはある程度周知のものとなり、
あとは適切な露出・経路が整っていれば
黙っていても売れていくのだろう。
しかし時期が来れば(市場が満たされれば)そうでなくなる。
人々は飽きて注目関心欲求は下がり、やがて売れなくなる。
そういう状況なのに売りたいから「差別化」という発想になるのだな。

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以前知り合いの方から、
高校の即席ジャズブラスバンド部を描いた映画が公開され、
そのことで楽器業界が若干沸き立った、
みたいな話を聞いた。
「これで管楽器人気が復活してまた売れてくれたら」
みたいなこと考えてたらしいのだが、
じゃ業界で具体的に何やった、とかいう話は特になかった。
勿論業界紙等にもちゃんと掲載告知されていた。
そこに便乗して何かプロモーションとかやったのかな。
映画はそこそこヒットしたようだし、
本当に何もしなていかったのなら勿体無い話だなーと思った。

それとは正反対?に、
音楽関係で大便乗したと言えるケースがある。
女子高軽音楽部のバンドが主人公の、
大ヒットした某深夜アニメである。
日本のみならず海外にもファンが多いらしいが、
とにかくキャラクターグッズが山ほど売っている。
楽器店でも「それ関係」の一角があるくらいだ。
登場人物が劇中で使用している楽器自体
(かなりリアル、というか実在の楽器を描いているようだ)
も売れているらしい。

こういったケースは他にもたくさんあるだろうけど、
とにかくマス媒体からばら撒かれる情報は影響力大なので、
便乗するしないは別にしても、
そこで取り上げられることは
一つの大きなチャンスといえるのではないか。
そんな出来事にも気を張って過ごすことも、
商人の仕事のうちなんじゃないかと思う。

となると、
その遺影写真のケースは
それが定着するかどうかは別にしても、
テレビ放映されたという点でまさしくチャンスであったと思うし、
近所の同業はそこにうまく『便乗』したとも言える。
勿論いいことだし写真屋として大いに便乗すべきだろう。

そういえばたしかその番組放映の数ヶ月後くらいに、
似たようなことをやっている別の写真屋をテレビで偶然見た。
フォロワーが登場するのは成長していることの証であるが、
これら番組をキッカケに、
「生前に自分の満足いくカタチで遺影を撮影しておく」
という一つの価値が発生し、それが盛り上がり定着してくれれば、
写真業界としては最高なのだろう。

『便乗』とは決して悪いことではない。
皆が便乗することによって一つの価値がより強く訴求され、
大衆に周知徹底されてそのような消費イベントとして定着していく。

「だから便乗する」というだけでなくて、
市場を盛り上げ成長させたいからこそ多くが便乗する、
そこも重要なのだ。


しかし、
こいうのを決して『差別化』とは呼ばない。
この辺には注意しておきたい。


次号に続く。


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