2010年11月28日

写真屋の差別化って何だ?(第4回)

酉の市にて
前回の続き。

七五三シーズン終盤である。
普段ウチのような街の写真屋が周囲近隣に対して、
どのようなことをやってきたか。
その結果がこの時期の来客となって現れる、
ということかもしれない。

だが、
そうであろうとなかろうと、
今回の話の結論から言ってしまうと、
差別化なんてのはウチに限っていえば
正直どうでもいいと思っている。

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予め申し上げるが、
今回のシリーズには(も)たいしたオチもないし、
差別化策なんてのを紹介する気もない。
コンサルタントじゃあるまいしそんなことできないし、
読者の方々も当ブログにそんなの求めてないだろう。
決して書くネタがないから言っているのではない。
そもそも差別化という言葉の意味もよく分からないし、
最初っからそんなもの語る気もない。

普段私達は、
こういった「差別化」「戦略」等の言葉を
意味も知らずたいして説明もできないくせによく使う。
だからわざとこういうタイトルにしただけである。

私を含めあまり優秀でない者は、
物事(商売)がうまくいかなくなってきた時、
その本質や原因なんかを突き止めるより前に、
こういうもっともらしい言葉の方が先にアタマに浮かんでしまう。
多くは条件反射というか
ただの連想ゲームみたいなもので、
その自覚もなければ実態もない。
今までに学校や親やテレビ新聞等で
見聞きしてきたものの鸚鵡返しにも近い。

そうなっていないかどうか、
自分に言い聞かせてみたいのである。

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最近ウチには、
ちょっと興味深い現象が起きている。

決して多いというほどではないが、
いわゆる『家族写真』を撮る人が増えてきているのだ。

他の写真屋や他の地域ではどうなのだろう。
少なくともウチでは僅かながら増えている。
とりたてて珍しい写真では決して無い。
家族というか親戚が集まって写真を撮る、
ただそれだけである。

ちなみにウチはそれに関するプロモーションなど
一切していない。
何もしていないのにお客が向こうからやってくるのだから
当然これはウチにとって有難い話であるが、
そのまま受け入れるだけでは能が無い気がする。
その理由なんかも知りたくなる。
テレビや雑誌の影響なのか。
それともそんなブームでも起こっていたのか。
そういうのは直接客に聞いてしまうのが一番なのだが
(本当の本心を知り得るとは限らないが)、
それをできない、しようとすらしないウチは、
何かとてつもなく重要なものを
長年に渡り取り損ねてきた気がする。
「なぜ売れないか」を考えるのも大切だが、
「あなたはなぜこれをウチから買ってくれたのですか」
と訊いてその答えを貰うべきだったのだろう。
なぜならその答えこそに、
自分の店のいわゆる『ウリ』あるいは、
それを作るためのヒントが隠されていると思うからだ。

・・って持論ぽく言ってしまったが、
こういうのは多くのビジネス本に書いてある。

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ウチに撮りに来た人は、
近所の人か、既存客の知人友人、つまり紹介である。
両者に共通しているのはウチに馴染みが無いという点である。
新規客に馴染みが無いなんて当たり前だろと言われそうだが
まあ聞いておくんなまし。

近所の人といっても、
顔名前くらいは昔から知っていても付き合いの薄い、
もしくは殆ど付き合いのなかった人である。
そんな人らがウチに来てくれるので
なんだかくすぐったい気がする。
普段ウチなんてのに来る人は、
仲のイイ人か写真仲間か仕入等業者か取引先か、
たまに七五三とかの記念撮影の人(ほぼ知り合いか紹介)や
通りすがりの証明写真の客くらいなもんだから。
いくら街の写真屋だからといっても、
パン屋や魚屋八百屋とかと違って、
近所の人で賑わうということはないのだ。

で面白いもので、
父母と子という核家族でのパターンはまだ無い。
どのケースも三世代か四世代集まっての撮影である。
だいたいお母さんが言い出しっぺというか、
発起人になっている(ように見える)ケースが殆どである
(ここで言う『お母さん』とは、私の母くらいの世代の、
 つまり三世代なら続柄的にはおばあちゃんを指している)。
といっても、
予約や支払い・受け取りにくるのがお母さんだから、
という程度の理由でそう思っていただけである。
当初はね。

しかし、
撮影の現場(全部ではないが)を覗いたり、
撮影しフィニッシュした写真を見ると、
やっぱりお母さん主導なんだなーと感じる。

なぜか。

お母さんが、
一番嬉しそうに見えたからである。

撮影の現場で一番はしゃいでいたのも
お母さんだった。

苦労して育てた息子娘たちが大きくなって巣立ち、
やがてその子達も子を授かり家族が増えた。
写真の中心には車椅子のかなり高齢のばあちゃんがいる。
孫たちからすれば祖祖母だね。
そして旦那もまだまだ元気だ。
ペットも一緒に写っている家族もあった。
そんな家族に囲まれて幸せいっぱいな表情を浮かべているのが、
お母さんだった。
そんなお母さんに促されて皆集まりました的な雰囲気だった。
勿論皆楽しそうにしていた。

まるで、
決して長くは続かないかもしれないこの幸せな瞬間を、
少しでも強く心に焼き付けておきたい、
あるいは、
これまでの人生の総決算をとでも言ったらいいのか、
その結実である今この一時を
写真という姿カタチあるものとしてこの世に残しておきたい、
そんな風にすら感じた。

私の妄想↑と思っていただいて結構である。

実はウチの母親も以前から、
こんな写真を撮りたがっていたのだ。
昔はそんなこと言いだすことはなかったのに。
それで半年ほど前に私の兄弟家族が集まり、
ウチの写場(ウチはスタジオを昔からこう呼んでいる)で
似たようなヤツを撮ったばかりである。


この辺はなんだかすごく重要な気がするが、
それに触れるのは後にしておこう。

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ある知り合いの方から、
常々こう言われていた。

「○○君のとこ(ウチの店のこと)もさー、
 『一年に一度は家族で写真を』とかいうキャンペーンなんかを
 近所に向けてやりゃいいんだよ。
 お宅(ウチのこと)に来てくんなくても出張で行ってやればいいよ、
 近所なんだからさ」

何年も前から度々聞かされるその話に私は
「あーそーですねー」と気の抜けた返事をしていたが、
内心それ悪くないなと思っていた。

いや、悪くないとかいう以前に、
今まで写真屋がそういったキャンペーン的なことを
どの程度やってきたのかと疑問に思っていた。
業界全国レベルとしても個店単位としてもだ。
七五三成人式等はともかく、
「定期的に家族で写真(写真館で)を撮る」というのが、
菓子業界が根付かせた「バレンタインデーにチョコレート」
というレベルまでにはいっていはいない気がする。
だとすれば、
カメラも店もやまほどほどあるし
技術的にもこれだけ環境が整っていながら
何故なんだろう。

そういえば、
アメリカや他のアジア諸国に比べると
日本はスタジオ撮影に関する意識が低いみたいな
話も聞いたことがある。
たまにアメリカの写真(業)関連書籍を取り寄せたりしているので、
尚更そういう印象を持っている。
仮にそれが本当だとすると、
私達写真屋は一体何をしていたのだろう。

こんなこと言うと、
全国の優秀な写真館ならびに関連業者の方は
さぞお怒りになることだろう。
「お前が生まれる前からいろんなことやってきたさ!」
「お前らみたいな気の抜けた店がいるから、
 客は子供専門写真館とかホテルや式場とかに行くんだろが!」

まあそうなんだろうな。

私が今そう考えながら思い起こしているのは、
数年前の夏の雨の日に行った、
東京ビッグサイトでの写真屋見本市である。
以前このブログでも取り上げたが、
ウチのような気の抜けた店とは
正反対の人たちの集まりだったからね。

次号に続く。

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