2011年10月04日

ミラーレス一眼のCMの彼女の、その周辺で(第5回)

中央区日本橋にて

前回の続き。

『 次の二つのことは絶対に軽視してはならない。

  第一は、
  忍耐と寛容をもってすれば、
  人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。

  第二は、
  報酬や援助を与えれば、
  敵対関係すらも好転させうると、思ってはならない。 』

            〜マキャベリ『政略論』より〜 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 〜ちょっとワケあってご無沙汰して申し訳無いです。
  いつもの写真屋ブログのネタも書いてはいるんだけど、
  今回の一連の騒動についてはどうしても看過できなかったので。
  この連載読んでいただいた方にはご想像つくと思うけど。
  よって通常の写真屋ブログと平行して適当にやるつもりです。
  こういうのをあと数回書く予定ですが、
  引き続きお付き合い頂ければ大変幸せです〜

この人の全集が、
あの合衆国の大統領執務室(だったかな)には揃ってるらしい。
まー忙しすぎて
ゆっくり読んでる暇もないだろうけど。

マキャベリ(ニッコロ・マキャヴェッリ)とは、
中世に約3百年ほど栄えたフィレンツェ共和国の外交官である。
彼の残した書は単に政治論としてだけでなく、
帝王学のバイブルとしても未だに高く評価されている。
とりわけ人間もしくは大衆の、
本質とも言うべき部分を冷徹に見透かしている。
現代の政治家や軍事専門家が参考にするのもうなずける。
また、
孫氏の兵法やクラウゼヴィッツ戦争論などと並び
多くの経済人からも支持されているようだ。

『 衆に優れた人物は、運に恵まれようと見放されようと、
  常に態度を変えないものである。 』

『 人間というものは 現に持っている物に加え、
  さらに新たに得られるという保証がないと、 
  現に持っている物ですら、
  保有しているいう気分になれないものである 』

『 人間というものは、
  困難が少しでも予想される事業には、
  常に反対するものである。』

『 ある人物を評価するに際して最も簡単で確実な方法は、
  その人物がどのような人と付き合っているかを見ることである 』

『 人間というものは、
  危害をくわえられると思いこんでいた相手から
  親切にされたり恩恵を施されたりすると、
  そうでない人からの場合よりずっと恩に感ずるものである。』

昨今流行のナントカ心理学や
なんたらセミナーとかで言われているようなことは、
既に16世紀には存在したということだ。

ちなみに、
『やった後で後悔する方が、
 やらないことで後悔するよりずっとまし』
という名言を放ったのはボッカッチョ(『デカメロン』より)である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「日本人って、○○だから・・」
なとという物言いを私達はよくするが、
そんなことが言えるほど、
私達日本人は真剣に自分達の気質について考え、
明確な意見を持っているだろうか。

冒頭の名言を、
打算的とか冷たいとか感じようが、
現実を著す言葉として概ね的を得ていると思う。

近所の国からの度重なる嫌がらせ(「攻撃」というべきだな)を、
いつまでたっても止めさせることができないのも、
私がそう考える理由の一つだ。
今までそんなことが山ほどあったにもかかわらず、
何処の誰からも明確な「あーしろこーしろ」という意見が
聞かれたためしがない(正確にはあったのだけど黙殺されてきた)。
「今日本はこんなことされている」
「本当に困ったもんですねー」という報道があるだけで、
しかもそれらの多くは隠匿され、
それに関わる人達が国民から見えない場所で苦しんでいる。

黙ってても問題は解決しないよ普通はね。

卑近な例で言うと、
例えばいじめられっ子が
黙ってイジメられ続けていれば
やがてイジメを止めて仲良くしてくれるようになる、
などと思いこんでいる状態とたいして変わらない。
イジメられ続けて解決するイジメなどないし、
イジメられてる側が謝罪して止むイジメなどない。
反対に、
脅されて5千円渡したら今度は1万円よこせとくるのが
この世の法則ってもんだ。
面白いもので、
こういうことを全く理解できない(しようとしない?)人が、
結構多くいるように思うがどうだろう。
勧善懲悪ハッピーエンドなドラマの見過ぎか。

当ブログで何度か書いていることだが、
こういうのを「ナイーヴ」と言う。

誰に対して敵意も悪気も何も無いのに
(この国がまさにそうだね)、
誰かが一方的に敵対してくることも現実には山ほどある。
あるいは自分がどれほど正義正当であろうとも、
悪意ある相手の悪意が消えてなくなる保証はないし、
そうなる根拠にもならない。
それが正義だろうが相対的なものだから、
同一ルールを相手も受け入れなければ正当も糞もない。
争いの多くは「ルール選択(押し付け)の争い」でもあるのだ。
規則礼儀正しく紳士的であるのはいいが、
自分がそうだから相手もそうなってくれるというのは、
単なる願望以外の何物でもない。
そういったある種のバカ正直さを、
悪意ある相手(ほど)は見逃さず、
その善意に便乗して目的に近づこうとする
(認めたくないだろうが『日○友好』と銘打って行われるような
 催し・共同事業の多くがまさにそれなんだよ)。
なぜならその方がカンタンだからである。
敵に「刀で勝負しよう」と提案し「よしわかった」とさせて、
自分だけ脇下に拳銃を忍ばせておけば良い。
究極の争いでは作法など意味を失う。
詐欺師が相手を騙すためにまず自分を信用させるように、
自分を信じ切っている相手が一番殺しやすい相手だ。
敵を殺して生き残り勝った方が正義なのであり、
勝った方が自分の都合のいいように歴史を書き変えるのである。

中国の諺だったかどうか失念したが、
「テーブルの上に手を上げさせておけ」みたいなのがある。
にこやかな会談であっても相手がテーブルの下で
武器を隠しているかもしれないから用心せよ、
という類のものである。
こういう諺は世界中に存在する。

よく言われていることだけど、
ようするに日本人は、
目的達成よりも手段に拘る傾向にあると言えないだろうか。
争いで勝つには、
イイ武器を持っていることも大事だが、
味方をどれだけ増やせたかが最終的には大事だ。
「イイ商品さえ」「技術・品質がよければ」というのは、
既に終わったデファクトスタンダード的な思考である。
高性能高品質の日本製品が次々とシェアを落としているのが、
価格(為替)だけの問題では無いのは周知の通りだ。
私は昔「日本は根回しの国」みたいに教わった記憶があるが、
実際はその逆なんだよな。
世界の最前線で戦っている方々には大変失礼だとは思うが、
工業規格標準やオリンピック招致合戦などでいくらか想像はつく。
勝負(戦争)とはようするに多数派工作、つまり政治力なわけだ。
いや現場の人達は本当はよく分かっているのだろう。
分かっていないのは私達凡人の方だ。

仮にそうだったとして、
これらが全面的に悪いということはない。
むしろ反対にそれが日本人の強みでもあったと思うのだが、
その辺についてはいずれ書くとする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

寛容・謙譲・好意・忍耐・許容・規律、そして信頼・愛情・・。
当たり前だが人間としてそれらを失ってはならない。
しかし残念だが、
それを以ってしても乗り越えなれない困難がある。
そういう事実から目を背ける。
相手の良い面だけ見て悪い部分は気がつかないフリして
仲良くしていた方がラクなんだよね。
相手を攻めたりすると自分が悪者になったみたいで辛い。

ナイーヴとはそういうことを言うのだ。

たまに、
子供の夏休みの宿題を
子供にせがまれてやってしまうような馬鹿親がいる。
理由を聞くと「なんだかかわいそうだったから」
みたいな信じられない台詞がでてきたりする。
こういうのは優しさとは言わない。
かわいそうなのは子供ではなく(ある意味かわいそうだな)、
辛そうにしている人(子供)を見ているのが辛い、
それに堪えられないだけの自分なんだ。
だから手助けして自分がラクになりたいんだよ。
だけどそうやってゴネてラクできることを覚えた子供は、
自分が成長してからそのことを思い出しては
親に感謝したりするだろうか。
そういう親は親で、
後年成長した子供が仮に不甲斐なかったりしても、
自分に原因の一旦があるなどとは考えたりしないだろうな。

「はじめてのおつかい」というテレビ番組があるが、
慣れない使いに出された子供がどんな困難に直面しても、
親達はヒントは出しても決して手助けはしない。
苦しんでいる幼い我が子を見る親達の心は張り裂けんばかりだろうが、
それでも我慢している。
テレビ番組とはいえ、
多くの人達にはその理由が分かっていると思う。

どんな人にもきっと、
鬼や悪魔になるべき時ある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『 謙譲の美徳をもってすれば
  相手の尊大さに勝てると信ずるものは、
  誤りを犯すはめになる 』 (『政略論』より)

『 他者を強力にする原因をつくる者は、自滅する 』
                (『君主論』より)

『 弱体な国家は、常に優柔不断である。  
  そして決断に手間取ることは、これまた常に有害である。 』
                  (『政略論』より)  

ロマンチストの一部日本人には残念だが、
ここで挙げた名言は歴史的観点からして全て真実である。

「話し合いでも解決できないことがある」
というのが国際社会では常識である。
私達が考えているより遥かにクールだ。
目的達成のためなら多少荒っぽくなったり、
あえて悪者になったり、そして犠牲を払う覚悟を持っている。
国際社会は、
話し合い「以上」の解決手段(何だか分かるよね)を、
しっかり認めているのだ。
認めたくないのは日本(人)くらいだろうな。

『 天国へ行くのに最も有効な方法は、 
  地獄へ行く道を熟知することである 』

                (「手紙」より)
   
私を含めた典型的日本人は、
この「地獄」を見るのが嫌だ。
言霊の国だからなのか言葉で表現するのも嫌だ。
想像することも避けている。
ゆえにリスクを常に過小評価することになるし、                    
当然それらの対策も小さくならざるを得ない。
自然災害や重大事件等で、
私達はそのことを何度も反省し改める機会はあったはずだが、
先だっての震災でも同様であった。
悪いデータ(想定)ほど闇に葬り去られてしまう。
それこそが一番役に立つかもしれないというのに。
悪い情報こそ勇気をもって直視し、
隠さず即座にトップに上げる。
そして隠し事はしない。
危機管理の鉄則である。

じゃ、
その「地獄」って、
具体的に何をさすのだろうか。
これまで書いてきた当連載の中にあるように、
隠蔽され続けてきたこの国の現状こそが、
まさに地獄の一つと言えよう
(ぜひ1回から読んでみてください)。

で、「ナイーヴ」の言葉の意味も
なんとなく分かってきた。
じゃあ、
それに相対する言葉といえば、
何だろう。

「毅然とした態度」あたりかな。

じゃ、
その毅然とした態度って、
具体的にどんな態度だろうか。

宿題ができたね。

【おまけ】

某国有放送で来年、
平家を主人公にした大河ドラマがあるらしい。
で、気になることが一つある。

天皇家を「王家」と称していることだ。

どうでもいいことのようで実はかなり大問題である。

なぜなのかを詳しく説明したいところだが、
結論を言えば、
独立した日本の歴史の、紛れもない否定であり、
この局も相変わらず日本憎しで捏造歪曲をやっているな、
ということだ。
しかも某国の思想を
ドラマに混ぜ込んでいるという点でも最悪だ。
ホームページか何かでこの「王」という名称を使ったワケを、
わざわざ説明までしている。
ということは全て分かった上で故意にやっているんだな。

ちなみにこの局は、
09年には台湾との関係の番組でヒドい捏造をやって
1万人以上の原告団に集団提訴されたり、
天安門事件の際は「実は虐殺は無かった」という
あちらの当局の主張(嘘)をそのまま垂れ流したりしていた。
これらはヤツラの悪行のほんの一部である。

テレビはどこも一緒のようだ。

次号に続く。

人気ブログランキングへ・クリックお願いします!



Posted by bakashatokyo68 at 23:43│Comments(0)TrackBack(0)雑記 

この記事へのトラックバックURL