2011年11月30日

写真屋と健康問題(第5回)

原宿にて:夕暮れの東郷神社

前回の続き。

数年前のある日、
ウチの親父が
左前腕の肘近くに3センチ四方程の、
結構大きめな擦り傷を負っていた。
完全に血が滲んで真っ赤な、
かなり痛々しいやつであった。

どうしたのかと聞くと、
「仕事中でやった」と言う。
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転んだのである。

その仕事とは、
ある小学校の運動会の撮影だった。

以前当ブログでネタにしたことがあるが、
学校専門の写真業者の方がいて、
撮影をウチなどの外部の写真屋に発注することがある。
つまりウチが下請けになるのだが、
そこの仕事である。

撮影中は当然
撮りたい近辺に視線と意識が向けられるので、
足元への注意が散漫になるのかもしれない。
ほんの僅かな段差に足をとられたと言っていた。

恐らくこういうのは、
自分では障害物を乗り越えたつもりで
腿が自分の思っていたよりも上に持ち上げられずに、
障害物に引っかかるというケースではなかろうか。
胴体と大腿を繋ぐ腸腰筋の劣化は
カラダをケアしなければ誰にでも起こる。
ようするに老化なのである。

傷の具合は痛々しかったが、
その仕事の方は無事に完遂したようだ。
痛んだのは自分だけで機材の方は大丈夫だったらしいが、
レンズは後日買い替えた。
撮影結果には問題なかったものの、
ズームを回転させる際に僅かに違和感があるとのことだった。
ならば今後画質に影響がないと言い切れないだろうし、
業務用途ということなら得策であろう。

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その事件?以前から、
その写真業者の方から言われていたことがある。

「おたくに丁度いい持ち場でやってもらいますから大丈夫」

別に皮肉とかではなく、
冗談半分にそう言われたらしい。
でも本当にそうなのだ。

どういうことかというと、
ウチの親父がもう満足に動けないのを分かった上で、
そんなウチに最適な撮影(場所)で仕事してくれ、
ということだった。

小学校の運動会なのだから、
動き回らないと撮影できないこともあるだろう。
そんな撮影のためにウチとは別に少なくとももう一人、
若くて動ける写真屋がいるのだ。
ようするに、
動きが多く必要な撮影は若い写真屋に、
その必要のない撮影がウチにと、
同じ現場に持ち場と役割を分けて発注していたのである。
それでも運動会であれば多少の動きは必要になるが。
それでもここまで気遣いいただきながら仕事もいただけるとは、
なんとも恐れ入る次第である。

そこまでしていただきながら
転んでしまったのだから、
申し訳ないというか何というか。

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この事件あたりからだろうか、
オチの親父はしきりに
「カメラは小さい方がいいな」と言うようになったのは。

で、ある日、
まだ登場して間もない頃の
ミラーレス一眼というやつを手に入れた。
松下さんとこの初代のヤツである。
ウチの親父も私もいいカメラだとは思ったが
その手軽さに魅了されたのか、
以降スナップ撮影のような仕事でそれを使い始めた。
仕事用機材として考えれば
例えばセンサーが小さいとかレンズの基本性能とか
色々見劣りする点はあるが、
L判程度のプリント用途であれば
問題ないと判断したまでである。

が、
仕事で1、2回使用した後、
コレを使うのは止めてしまった。

仕事には向かないと判断したからだ。

カメラに詳しい方ならお分かりだろうが、
シャッターのタイムラグがあるからだ。
ミラーレス一眼カメラ(注・一眼レフではない)の
構造上ある程度は避けられないものなのだろうが
(現行品ではかなりよくなってきている)、
あれはいただけない。
シャッターボタンを押してから、
実際にシャッターが切れるのが僅かに遅れるのだ。
ちょっと前のコンパクトデジカメや
ケータイのカメラを想像していただければよい。
ボタン押して少しの間真っ暗になってパシャっとなる、
あれである。

写真を撮るというのは、
何もアタマの中で意思決定が言語化されているわけもなく、
「今だ!」と感じた瞬間に右手人差し指に力が入る。
したがって0コンマ0何秒が命なのだ。

例えば舞台関係の撮影を想定しよう。
それが演劇であれ演奏であれ舞踏であれ、
撮影の要点とは限られている。
一つは、
その様態を第三者に伝えることのできる
象徴的な様を捉えること。
簡単に言えば、
例えば歌手を撮るのなら
マイクスタンドの前で何もせずに突っ立っているところではなく、
ちゃんと歌っているところをまずは撮っておけ、ということだ
(よほどの理由が無ければ)。
歌舞伎役者なら(撮る機会があるだろうか?)
当然見栄を切っているところを撮るべきだろう。

とはいっても、
舞台上では出演者は動いていることの方が多く、
撮影するのに最適な状態とは言えない。
やみくもにシャッター切ってもブレ写真を量産するだけだ。
そこで撮る側としては、
動きの中で一瞬静止する部分を狙い撃ちすることになる。
例えばそれがジャスダンスとか日舞とかでも、
動きの中でほんの一瞬、
キメポーズのようになる僅かな時間がある。
そこを狙ってシャッターを切るのである。
であるから、
その0コンマ0数秒の違いが写真の出来映えを、
加えて私達写真屋の収入を決めてしまうといっても、
決して言い過ぎではないのだ。

舞台ならまだいいよ。
これが騒ぎまわる子供達相手ならどうだろう・・。

・・ラクな仕事ではなさそうだ。

フィルム一眼レフの時代なら
こんなことで煩わされることはなかったのだが。
ミラーレスだけでなくデジタル一眼レフでさえも、
「シャッターとかのレスポンス悪い」と不満をいう人は
5年前あたりでも結構いたように思う。
そういえば前にお世話になった写真学校のある先生も、
「シャッターのタイムラグも許せるレベルになってきて、
 安心してオススメできる」とEOS30Dを紹介していたっけな。


カラダの方は満足に動かせないウチの親父でも、
職業写真屋としての感覚だけは
変わっていなかったということか。

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書きながら思い出したが、
親父はこの転倒で腕だけでなく、
頬骨のあたりにも擦り傷を負っていた。

前腕顔面は地面に打ち擦り付けたが
カメラはほぼ無傷って、
一体どんな転び方をしたのだろうか。

職業上機材を守ろうと
咄嗟に手先を上にあげたというのなら格好はいいが、
本人はそうとは言っていない。
照れくさがって笑い飛ばすでもなく
自分の不甲斐なさに腹を立てるでもない。
ただ真顔で朴訥にその様を語った。
もう思うようにカラダが動かないのだということを
しみじみ感じているのかな、
そんな様子が
こちらにも伝わってくるようだった。

次号に続く。

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