2012年02月09日

写真屋と健康問題(第8回)

年初の千代田区丸の内にて

前回の続き。

飲食店でも雑貨店でも、
オーナーや働いている人が若いと
店の雰囲気も若々しい。
単にメニューや品揃えだけでなく
装飾や店の屋号に至るまで。
これには皆さん同意していただけるのではないか。

でもって、
若々しくない街の写真屋があったのなら、
やっている人が若くないというのも、
ひとつの理由だろう。
だが私は、
若者が開業した街の写真屋というのを、
まだ見たことも聞いたことも無い。

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今ウチの軒先を見て、
この写真屋若々しいねなどと思う人は
まずいないだろう。
もはやその理由を書く必要はあるまい。
そんなあなたも街中で、
時代に取り残されたような写真屋を
一軒くらい見つけたことがあるはずだ。

じゃあウチの親達が
若かった頃はどうだったか思い出してみると、
それなりに色々やっていた気がする。
例えば年末が近づけばクリスマスツリーを飾るとか、
時候に合った装飾を手作業でやっていたものだ。
ショーウインドウの内側からシールを貼ったり
結構面倒なこともやっていた。

が何時の間にかやらなくなってしまった。

商売自体がキツくなって余裕がなくなったとか、
外面かっこつけなくても
売上にそう影響はなさそうだからとか
(↑本当は影響大ありなはずだが)、
色々言い訳を聞けるかもしれないが、
ぶっちゃけて言えば、
歳とともにだんだんかったるくなってきたからなんだろう。

世の中の商売人が皆ウチと一緒などとは決して思わないが、
今の若い商人(店)達の何割かは、
歳をとればウチと似た道を辿るであろうと想像できる。

どんなに面倒でも仕事に欠かせないものは
絶対に止めないだろうし、
そうでないものは消える。
逆に本当は必要なことなのに、
自分に都合のいい適当な理由を見つけて止めてしまっても、
誰からも咎められることはない。
何度も書いて恐縮だがこれも健康問題と一緒で、
自分に指図する者も叱る者もいないから自分次第である。
若い頃の全てを40年後に完全再現することはできないが、
その代わりに自分のスタイルってヤツが出来あがる。
「スタイル」と言ってしまえば格好がいいが、
ようするに単なる生活習慣である。

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今回こんなテーマで書き始めてしまった以上、
また身内の恥部を晒すのかなと考えていたが、
ちょっと妙なことがあった。

つい先日だが、
店を覗くと、
ウチの親父がパソコンで何やらやっていた。
甥と姪の写真を使って画像処理をしている。
ということは直接客の仕事ではなさそうだ。
「記念写真」「お子様の」などと
いくつか文字が乗っかっている。
「なんだそれ」と聞くと、
「店に貼るヤツだ」という。
店頭に貼るPOPを自作していたのである。

以前このブログでも触れたことがあるが、
こういったPOPの類は
ウチのお得意であるデザイナーの方に
全部お願いしていた。
もしかしたらカネを浮かそうという魂胆かもしれないが、
少なくともPOPを自作するなどというのは、
自分の商売に対して
まだ前向きな意思が残っているのかなと考えた。
カラダ動かすのは億劫でもやれることはまだあるのだ。

勿論デザインは素人だし年寄りだし、
ウチが撮影する写真(商品)同様、
斬新さも無ければ今風の格好良さも無い。
しかしウチのような写真屋が、
一流や最先端でなくてはいけないわけでもない
(可能な限り自らを高めるべきだとは思うが)。
両者は似ているようで全く別の人を相手にしているのだから。

ただそうは言っても
一般のお客には関係ない話であって、
「ここは一流スタジオじゃないから今風のセンスは無用」
などとこっちの都合のいいように考えてくれない。
勿論店主のカラダの具合などしったこっちゃない。
どれほど真心を込めて仕事をしようが差別化を図ろうが、
それを判断するのはお客であって、
気に入らなければ他の店に行くだけである。
そんなお客がまず見るのはたいていショーウインドウなのであって、
写真屋の心の内ではない。

まあセンスってのはスポーツ選手みたいに、
どうしても経年には勝てない側面もあろう。
発案や意欲は勿論のこと、
考え抜く力やストレスに耐え抜く力なども
肉体の衰えと無関係ではなかろう。
老化に沿うように商売自体も老化してくるのは、
理屈でなく感覚的に理解できる。

しかし実際にスポーツするわけじゃないし、
心がけ次第では生涯最先端も不可能ではないはずだ。
だから結局センスなんかも、
健康管理と似たような話になってくる。
「オレもう歳だからオシャレなやつは撮れないよ」
などというのは元来の写真屋の責務からすれば、
これほどみっともない言い訳もないだろう。

だからこそメンテナンスが重要なわけだ。

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ここで言う私の考える「若々しさ」とは、
そこの店主の意思や意欲が
店頭から強く伝わってくるかどうか、
である。

写真屋のいいところは、
ショーウインドウを使って(あればの話だが)
自分が何者かやどんな能力があるのか等を、
効果的に周知させることが可能なことだ。
どのようにそれを演出するのかは勿論自由だし、
たいしてカネもかからない。
高級百貨店の軒先みても分かるが、
アイディアさえあればどんな風にでも表現できるだろう。
写真と関係ないことやったっていい。
そうでなくとも、
子供や家族の写真、成人式や七五三や時候のものといった、
何か幸せ感というか前向きなアイテムで占められている。
行き交う人々を幸せな気分にさせてくれる、
縁起のいい軒先なのだ。
反対にこれがクリーニング店や水道工事屋や町工場なら、
どうしたら自分の仕事っぷりの陳列が可能になるだろうか。

それが不細工であろうが何であろうが、
自分の存在を周囲に強く主張することが大事であり、
さしあたりその店の前向きな意思が、
店の前を行き交う人々になんとなく伝わればいい。
よほど気分を害するようなものでない限り、
ショウーウインドウを覗いて行く人は、
いつだってそれなりにいるのだから。
それにご近所さん方は、
私達が思っているほど
コチラのことなんか知らないし、
たいして興味もない。

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ま、
こういったことを店頭から感じられなくなると、
私達は「あーこの店ももう終わりかな」みたいに
考えるのではないか。
こういうのはいわゆる「印象」であるから、
一瞬のうちに感じ取られてしまうものだ。
一度与えた印象をひっくり返すの難しい。
だから日々の健康管理のように
忘れてしまいそうだが気が抜けないのだ。


でウチのことだが、
私としては
もうガミガミ言わず勘弁してあげようと思っている。
もう長年十分頑張ってきたし、
少なくとも自分のやっていることには
責任もっているのだから。
客観的に善し悪しがどうのではなく、
本人達が納得いくのならそれでいい。

それでも少々残念なのは、
その当人の納得の内訳に、
「自分の(健康)管理不行届で無様な外観を晒し、
 それが周囲からの自¥分への評価にも繋がっている」
ということの自覚が含まれていないかもしれないことだ。
そういった感受性(客観性?)の衰えも、
間違い無く老化の一つであろう。
と言っても、
本当に残念かどうかは
これも本人が決めることだが。

次号に続く。

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