2013年11月05日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第11回)

東京時代まつり2013:浅草寺にて


前回の続き。

戦略的写真屋というのだから、
これからの世の中を
ウチらのような零細商店であっても
戦略的にやっていこう、
一応そういう話のつもりである。
じゃ具体的に何すりゃいいのか。

まあそれが分かれば
コンサルタントかなんかやっているだろうが。


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そんな私たちには恐らく
特別画期的なアイディアなどない。
カネも度胸もない。
だから小さな写真屋のままなのだ。
自分たちの領分をわきまえ、
日々の仕事をキッチリこなせばいいのだと
教わってきたしそう信じているし、
グローバルカンパニーになるとかいう
野望があるわけでもない。
しかし
自分たちが自分のことをどう捉えるとかに関係なく、
世の中が動きそれらに影響されるのは
必然なのである。

じゃあ
どうすりゃいいのか。

「常に学び、備える」

ただそれだけである。

日々写真屋家業を
精一杯勤め上げながら、
常に何かを学び続けることで
いつかやって来るであろう節目に
最適とは言えないまでも、
なんとか食っていける程度のマシな意思決定を下す、
そのために備えることくらいしか
私たちにはできないだろうし、
それで十分なのだとも思う。

じゃ何を学ぶのか。

写真屋なのだから
写真関連のことは勿論だが、

『世の中のこと〜一般に「教養」というヤツ〜』

コイツは必須だ。

真面目で誠実なことは大切だが、
それら要件の一つなのであって
未来を保障してくれるわけではない。
カネも才能もない凡人がタフになるには
学ぶことで自分を鍛えるしかないのだ。
専門家がその専門であるがゆえに消え去った例を、
私たちは山ほど見てきている。


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で、
急に勉強しろとか
教養をとかいっても、
あまりにも漠然としている。
まあ何を学んでも
以下の2点に帰結するであろう。

『因果と歴史』

『言語と説明』

逆にコレを避けていては
何も学んだことにはならないはずだ。
そいつを踏まえて、さてどうするか。

まずは当然のこととして、

『写真(撮影)技術と業界知識』

であるが、
他にも商売人であるから当然、

『経営学・経済学・マーケティング・会計・税務』

はまず押さえておきたい(基本程度でよい)。

他にも、

『人間に関すること〜家族、食物健康、教育、発達、心理、老化等』

『社会について〜
    信仰、歴史、政治、国家、法律、民族、産業、言語、地理、紛争、
          文学、美術、芸能、風俗、そして日本について』

『基礎科学〜
    動植物、地学気象、物質、エネルギー・宇宙・コンピューター・医療等の技術開発』

『「写真(自分の専門)以外」の実技何か一つ以上
 (別にプロ級とかでなくてもよい)
    についての嗜みもしくは知識』

さらにできれば

『スポーツ何か一つ以上の実技』

が加われば尚良い。

分類の良し悪しは置いておいて、
大体こんなもんでどうだろう。
勿論専門家レベルになる必要などない。


「ただでさえ毎日仕事で忙しいってのに、
 こんなに勉強っつったって、できるわけねーだろが」

という方が多いと思う。
やり始めるとそうでもないよ。
別にあえて学校に通う必要もないし、
たいしてカネも時間も要らない(勿論かけてもよい)。
できる範囲でやればいいだけの話だ。
「せいぜい週一だな」というのなら週一でいいし、
「読書時間すら寝る前の10分くらいしかねえよ」というのなら、
その10分で十分である。
恐らく読書やネットが中心になるだろうけど、
あとは講演会とかスクールとかセミナーとか、
やれることはある程度決まっているのだから。

「でも何やったらいいのかね」

これについても心配ない。
単にその時気になったものや
興味をもったものに食い付いて、
暫くそのまま観察し自分の言葉で説明できるレベルに
落とし込んでいけばいい。
体系立ってないとか気にする必要も無い。
学校の勉強ではないのだから。
「どんなことでも知りたい学びたい」という態度でいれば、
身の回りに起こった全てが「教材」になるし、
自分が謙虚でいれば身近な人も「先生」になる。
何の脈略も無く見聞きしたことでも、
後日あるキッカケで別の知識と繋がることで
何かの起点になったり、
問題解決に役立ったという話はよく聞かされる。
私自身も何度か経験している。
能力ではなく意識と態度の違いなのだ。


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こういう話には必ずといっていいほど

「役に立つか分からないもの勉強してどうすんの」

という反論が上がるものだが、
そういう結果直結合理的で賢い方は
すぐさま立派な専門家にお成りになることだろう。

勘違いしてはいけない。
私たちは教養を身につけて
自己を鍛えようとしているのだ。
学生の試験対策レベルで捉えられてはいかん。

だいたいさ、
身に付いた何がいつ何時役立つ(のを実感する)かなんて
誰にも分からないのだ。
独りよがりな未来予測紛いをするより、
本の1冊でも読んで楽しんだ方が遥かにマシである。
未来に起こるであろう問題解決のために
平時の今学ぶことに意味があるのだ。

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一人の技術屋として
いかに素晴らしい専門家になれるか
(専門家でいられるか)が重要なのは勿論だが、
それ同様いやそれ以上に
専門家になった自分を
どれだけ客観視できるかが重要なのだ。

その際のモノサシになるのが、
己に備わった教養なのである。


次号に続く。

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