2014年01月07日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第14回)

参拝の列(午後9時過ぎ!ですが):元日の浅草寺(宝蔵門)にて

前回の続き。


前回ちょこっと触れた「PISA」であるが、
若者の学力の良し悪しってのは結局、
彼らのために我々大人たちがどうするか
にかかっているわけだ。
だって教え導くのは大人の仕事だからね。
なので我々大人に考え抜く力がなければ、
若者や子供達もまた、
やがて考え抜く力のない大人に成っていったとしても、
不思議ではない。

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で、
その「PISA」の
調査結果が出たすぐ後の某Y新聞の解説に
気になる一節があった。

若者の学力(低下?)はなにかと話題になるが、
とりわけ著述を要する問題での
無回答と不正答率の高さを危惧するものであった。

(以下意訳)

「著述問題で解答欄が無記入ということは、
 単に分からなかっただけでなく、
 考えるのを早々に諦めたとか、
 思考が持続しなかったことや、
 正答したい意欲自体の低下の現われともとれる〜
 〜これでは将来、目の前に難題が降りかかっても、
  それを克服できる忍耐(思考)力のある大人になれるかどうか・・」


実際の文言は全然違うんだけど、
だいたいそんな内容であった。
ようするに「考え抜くチカラの欠如」であるが、
その意欲が無いから持続しないのか。

まあごもっともな分析であるように思う。

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このY新聞の解説は、
学生の思考(忍耐?)力不足を指摘していると同時に、
もう一つの重要な点を示唆している。

〜学科や課題等、
 それ自体が直接大人(職業)社会に
 直接役に立つかどうかではなく、
 その問題に対してどういう姿勢で取り組み、
 どこまで粘り強く解を追い求めたのかということ、
 そしてその過程を通してどういった意見を構築したのか、
 ということ(経験)自体が、
 将来役に立つのだということ〜

そんな風に解釈できないだろうか。

だが
それができていないから、
「ヤバい!」と言っているのだな。

恐らく私達の多くは、
学校で学ぶことの中に、
あるいは学校そのものに、
将来役に立つものとそうでないものとが
キッチリ分かれているような気になっている。
「それのどこが何の役に立つのか」ってのが
その典型的な台詞であるが、
この新聞の解説では間接的に
「そうじゃねえだろ」
と言っているわけだよ。

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「学校の勉強なんて、結局何の約にも立たなかったよな」
という人に、
「じゃあ、あなたのお子さんは
 学校に通わせなくても大丈夫ですよね」
と聞いてみよう。
はたして何と答えるだろうか。

「やっぱり必要だ」とは思うが、
それが「なぜ必要か」が答えられない。

「日本の学校教育には
 熟慮を促し議論したりする授業の割合が少ない」
という指摘は確かにその通りなのかもしれない、
しかし実際それはゼロではないし、
そいつの具合をイジるのは大人の仕事(責任)である。
そもそも多くの(大の大人の)日本人が議論下手なのを、
いや議論を避けていることを
私達も十分自覚があろうに。


私達大人の方が
よっぽど矛盾しまくっている。

当然のことながら、
知識技能習得と想像思考議論、
両方必要ということになるが
そもそも、
知識と想像力等を別物として捉えることが
間違いなのかもしれない。
想像力豊かで創造的な人は、
たいてい知識も豊富だ。
根気よく考え抜くから創造的になるのであって、
その過程で知識を多く身につけてしまうのだろう。
そういう人物が
自然と自分の意見をしっかり持つようになり、
優れた説明能力が身につけていたとしても、
理に適っているとしか言いようが無い。
そんな人たちは、
きっと議論を恐れることはないのだろう。

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「じゃあどうすりゃいいのか」

一番厄介な部分である。

若者の学力不振もさることながら、
学習意欲の低下の方もマズいと考えている人は、
確かに少なくないはずである。
そもそも願望が低ければ成績もくそもないのだ。
なので大人としては
何とか子供達に学ぶよう仕向けたいのだが、
重要性や楽しさとか言っても
しっかり学んできたやつが後から振り返って分かることだし、
「将来役に立つから」とか言ったところで
若さゆえ社会経験の乏しい彼らに実感など湧くわけもない。

どうやら私達は長い間、
学ぶことの動機を
「学校」や「教科課題そのもの」に求めすぎて、
結局ほとんど考えてこなかったように思う。

突如巻き起こった
目の前の出来事について
ぎゃーぎゃー喚きはするが、
その因果追求もツメがあまく
著述説明することもできない。
ゆえに議論もできなければ
賛同も得られることもない。
原因究明という名の犯人探しも、
その多くが他者にのみ向けられるものである。


勉強が必要なのは、
私達大人の方なのだ。


補遺:前回終章での問いかけと
   今回の投稿との繋がりが悪い文章となり、
   申し訳ない。
   それを書くための前置きで終わってしまい
   お恥ずかしい限りである。
   別にすごく画期的な意見があるのでもないが、
   次回に持ち越しとさせていただく。
  

補遺2;今年2014年の初詣参拝者ランキングが
    どこ探しても(検索)出てこない気がする。
    毎年多くの媒体さん等がこぞってやっているはずだが。
    気のせいだろうか。
    ちょっとおかしくないか?。


次号に続く。

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