2014年02月27日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第16回)

吹雪の雷門:台東区浅草にて

前回の続き。


各地の有名神社に行けば
結婚式に出くわすことがあるが、
たまたま記念撮影をしていたとしよう。
その撮影係が
外部の専門業者か
それとも神社の職員(神職?)かなどと、
考えることはあるだろうか。

写真屋にとっては
愚問なのだろうけど。

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東京なら原宿駅すぐ脇の
正月参詣客日本一のあの神社ならまだしも、
たいていそういう撮影は外部の業者であると、
私含め多くの人が想像するのかなと考える。

ウチが写真屋だからというのもあるが、
事業規模から考えてみても、
あえて人を雇って撮影係に育てるなど
まったくもって合理的ではない。
必要な時に近所の写真屋に声をかけて
出張撮影してもらえばいい。
写真屋にしちゃ販促費ゼロで売り上がるんだから
有難いもんである。
反対に神社の立場からすると、
結婚式だけやって「撮影はお客様の方で世話してください」
なんてのは商売としては失格であろう。
専任者を雇わないから外注なのだ。
今ならフリーの日曜日だけのカメラマンなんかもいるしね。
提携とかアウトソーシングだとかいう言葉を知らなくても、
似たようなことみんな普通にやっていたはずである。


といったような普段の経験から、
誰でもこのような想像をする(ことができる)と
勝手に思っていた。
しかし
たまたま私の周囲には
想像力のない大人が結構いる。
所詮勝手な想像なのだから
自由でいいし正しい必要もないのだが、
ただその度合いが貧弱なせいか、
世間話ですら言い切りの多い
粗野な会話になりがちである。
私にはどうもコイツが引っかかる・・

ということで今回も余計なお世話である。

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どんな具合かというと、
例えばどこの町にも年老いた方の経営する、
残念ながら商売とはいえないレベルの店がある。
実際に近所に
こんなの誰が買うのかなという洋品店があるが、
長い間潰れずにしぶとくやっている。
その理由を考えるのだが、
出てきた答えが
「ということは、やっぱりあーいう服が売れてるんだなー」
である。

素直といえばその通りである。

そんなダメダメ店が潰れない理由として私が考えたのは、
「本業以外に’金収入家賃不動産収入2搬欧らの援助(息子娘等)
といったもの(あるいは組み合わせ)で補っている、
イヤというかそっちがメインであって、
本業の収益などほとんどなかったりする」である。

単に私が偏屈なだけかもしれないけどな。

ようするにこの方、
どんなヤバい店でも営業しているのなら
そこの商品が売れていると理解するようだ。


ある製品を作っている方に、
「その商品を買ってくれる人たちって、
 どういう人なんですかねー」
と聞いてみたことがある。
「当たり前だろなに言ってんだお前」という顔でこう言われ驚いた。

「ユーザーだよ」

私が聞きたかったのは
10代の学生とか都市部に住む若い夫婦とか、
中堅企業の中間管理職とか結婚10年以上の奥さんとか、
マーケティングでのいわゆるセグメントのことであり、
ようするにお宅(の製品)は
どんな人たちと相対してビジネスやってるんですか、
という意味のことを聞きたかったのである。
質問の仕方が悪かったのかな。


ここ数年近所でも
マンションが次々と建っているのだが、
それを見て人口の増減とかそれによる学校の増加・統廃合とか、
世帯構成の変化による街の雰囲気や治安の変化とか、
区の税収や交通量の増減とか、
そういったところまで想像が及ばない。
「人口は減少する」
「若者は出て行ってしまう」
とかいう類のものを刷り込まれたかのように信じている。


これらはほんの一例であるが、
こんな風に陳腐な会話に終始することが多い。

たまたま、なのかもしれないけどね。


不思議なのは
そういった方達が決して
不真面目とかアマタが悪いとか仕事ができないとか、
そういう人では全然ないことだ。
年齢や役職立場にも関係ないようである。

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そういう人を見ていて、
想像力が弱いというよりも
他者への関心が低いだけなのかなと、
最近は思うようになってきた。
会話や立ち居振る舞いなんかからすると、
関心の中心はやはり自分であり、
そこから手の届く範囲で好き嫌いを語っているカンジである。
でも彼らは恐らく自分達をそのように捉えてはない。
客のことも世間のこともちゃんと見ているし知っている、
そんな風に見える。
そうなる理由として考えられるのはやはり
「忙しい(余裕が無い)」からだと思う。
毎日必死に頑張っているから余計、
自分中心の狭い一帯にしか意識が回らないのだろうか。
余計なお世話だし私如きがオコガマシイとは思うけど、
やはりそのように感じるのだ。


関心が薄いということは、
関心があるか否かという自覚「自体」が薄い、
もしくは無いということになる。

お客を知ろうとしないで儲かる商売などないだろうが、
そういう自分への自意識の無さ、
〜つまり自分を客観視できないこと〜
も同様に問題だろう。

このことは、
前回までに書いてきた
「既に身についている事柄に対する意識の薄さ」
に酷似していないか。

ということは、
これらを解決する方法も
恐らく同じでよい。

つまり、
前回まで書いてきたように
「学びなさい」ということだ。

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「学ぶ」ということは、
まずは対象となる事柄(お客・市場・商品)に対して、
強い意識をもって関与すること、
またはその対象自体を探すことである。
その結果何かを得て(売上・利益)、
それは次の学びの材料となり(再投資)、
相乗効果となって知性は
無限に広がっていくのだろう(という願望)。

「商売とは何か」と
「学ぶとはどういうことか」の、
その両者の定義が
とても近いような気がする。


今回も散々偉そうに述べてきたが、
私はなにも近所の人たちを
なんとかしてやろうなどと考えているわけではない。
ただ単に、
そういう人たちを見て何かに気づき、
自分達の今後に活かす
くらいのことは考えてもいいだろう。
そのために書いている。
「人の振り見て我が振り・・」「反面教師」ってのは
こういうのをいうんじゃないか。
何度もしつこいが、
学ばなくてはいけないのは上の爺さん達ではなく、
私たちの方なのだ。


【補遺】

例の「談話」撤回へ向けての署名運動が始まったようだ。
以下のサイトご参照されたい。
基本的には書式PDFを一旦ダウンロードし、
そこへ記入し郵送かFAXのようだが、
後者はオンライン署名でもOKのようだ
(後に両団体は本署名で連携予定とのこと)。
とりあえず見てみるだけでもいい。

サイト1

サイト2


面白くなってきたな。


次号に続く。


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