2014年03月17日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第17回)

卒業式シーズンです:明治神宮にて(東京都渋谷区)


前回の続き。


かなり前に
ある面白い一文に出くわした。
書籍か雑誌かも忘れてしまったけど。

米国のシークレットサービスへの
簡単なインタビューだった。
ほとんど記憶に残っていないが
ある一節だけは強烈なインパクトがあった。

「あなたにとって警護しずらい人物というのは、
 どのような人でしょうか」

という問いに対する答えだった。

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「警護されたがっていない人です」

妙に納得してしまった。

私の周囲には今も昔も、
年中仕事の先行不安などを口にはするものの、
昔から何も変えていない人がそこそこいる。
他人の言うことに耳を傾けることもなければ
自己を省みることもない。
助けて欲しがっている(儲けたい・ラクになたい)ようで、
助かりたくない(変化を嫌う)ように見える。
こっちも余計なお世話とは思いつつ、
良かれと思い何か言ってしまうこともある。
考え抜いて万策尽きたとくれば、
あとは外部の知恵を借りるしかないわけで。

他所で知人と話す時に、
私はこういう人たちのことを
『矢ガモ(の状態)』と呼んでいた。

ご存知無い方のために説明すると、
今から10何年も前のある事件のこと。
どこかの池で首の付け根あたりに
矢が刺さったままの状態のカモが発見された。
どうやら急所を外れたらしく
一見普通に生きている。
人間が後にそのカモを救助しようと追いかけるが
カモは逃げるばかりで素直に捕まってくれない。
カモにしてみりゃ自分に襲い掛かる魔物に見えたのかもな。
こっちは助けてやろうとしているのに。
このカモをマスコミは「矢ガモ」と呼んでいた。

まあ、他人を「矢ガモ」呼ばわりというのは
もうそれ自体が上から目線だとは思うが、
どんな助言や提案しようが所詮こっちの身勝手なのだろう。
人は他者から何か(変化)を強制されるのを嫌うものだから。
ただ政府要人などが
自分を警護する人を邪魔者扱いするのはマズいだろう。
あんたが死んだら困る人がたくさんいるわけだから。


仮に真に助けを求めていたとしても、
やっぱり他人の話など聞かないと思うな。
ご親切有難く受け止めます的な素振りで、
右から左へ聞き流すかな。
誰だって望んでもいない他人の話など聞きたくはない。
自分の「聞きたい話」を聞くだけだ。
ただ自力で探そうとはする人はいる。
新聞テレビはもちろん
業界紙や雑誌や専門誌読んだり
ネットやセミナー・勉強会とか参加したり。
ただ本当に変わるかどうかは別である。
私たちは無意識に自分に都合のいい情報にばかり気が向いてしまうし。
自分に有益な情報ってのはたいてい
その逆が多いわけで。

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ウチのような写真屋は
今後どう考えどうあるするべきか、
みたいなことを偉そうに語ってきたが、
この国のすべての写真屋が生き残ることはできないし、
そうする必要もない無いと思っている(勿論ウチもその候補だろう)。
これは別にスゴい話でもなんでもなくて、
資本主義という名のこの世の摂理に従えば
(従わざるを得ない)、
弱き者や時代の要請に応えられない者は
淘汰される(べき?)だけなのだ。
命あるものは必ず死ぬと
いっているのと同じである。
いずれ写真屋という呼称や業態の定義にすら
意味がなくなるかもしれない。
だが旧来の写真屋が無くなったところで心配はない。
その時々の消費者にとって必要なサービスが、
古い我々に代わって
他の若い優秀な業者によって提供されていくだけである。

そんな状況に反発して
「古き良き写真屋がなくなるのは寂しい」
という声が出てくるのはよくある。
確かに銭湯や駄菓子屋なんかもなくなってほしくないな。
だがそれは
一部のマニアのような小規模な需要か、
あるいは身勝手なアナクロニズムでしかない。
勿論そういったカウンターカルチャーが
狙い目(新市場)なことに異論は無いが、
ごく少数のアタマのいい連中が
我々よりずっとウマくビジネスに仕立て上げるよ。

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結局のところ、
大雑把に大資本系と小規模事業者に分かれるのだろうが、
ウチ含め後者は何かと
「こっちはこっちで小さな商売やってるんだから大手は関係ない」
などと言う。
でも本当にそうなのか。

どんな商売でも費用低減のために
1円でも安く仕入れようとする。
そうやって見つけた仕入先は大きな事業者だったりするんだよ。
弱く小さな自分の商売を成り立たせるためにも
価格競争力のある強い事業者と付き合わざるを得ない。
でもってその結果、
あなたと同じような小さな取引先は潰れていった。
私たちが潰しているのと同じようなもんだ。
そして今生き残っている私たちも、
決して同じ目に遭わない保証はない。

もういい加減
被害者意識を持つのは止めにしたい。

なんだかまた前回と同じような話になっちゃったが、
他人を見て学ぶというのは
つまりこういうことだ。
自分自身を見つめ直すことと表裏一体なのだ。

気に入らないヤツがいたとしよう。
「あいつは人の陰口ばかり言っている」と
そいつの陰口を言っている自分もまた
同じように陰口を言っているわけだ。
そこに気づけるかどうか。

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自分以外の何者(モノ)かに興味を持つことが
学びの始まりだとは思うが、
そのきっかけや動機になる一つが、
「敬意と感謝」
なんじゃないかと思っている。
次回以降でそいつを書いて
総仕上げとしたい。


次号に続く。


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