2014年04月21日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第19回)

隅田川流鏑馬にて:東京都台東区

前回の続き。


最後に、
ある年老いた商売人の話をして
おしまいにしたい。




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その人物は
何の変哲も無い
昔風に言うところの
いわゆる「お店屋さん」であり、
そして、
いわゆるダメおやじである。

自分の上に人がいないからやりたい放題。
食いたい時に好きなものを食い
寝たいときに寝る。
気分屋で人の話も聞かず、
気に入らないことっでもあれば
すぐ怒鳴り手を挙げることもある。
じゃそれほど仕事熱心かというとそうでもなく、
奥さんに何かと作業押し付けては
店の奥に引っ込んでダラダラしている。
一家の大黒柱のつもりでも
奥さん抜きでは生きていけないのが
分かっているのかいないのか。
学が無いので賢くないのは仕方が無いとして、
どんなに塩梅が悪くなろうとも
ただイライラするだけで毎日同じ事を繰り返している。
当然経済的には厳しいままである。

こういう人結構いそうだよね。

たった一人でも暴君のいる家庭が
円満なわけがない。
この家もそうだった。
詳しくは書かないが、
長年にわたる当人の身勝手で周囲への尊厳を欠いた態度は、
家族へ影響を及ぼさないわけがない.
息子達は家業を継ぐわけもなかった。
儲からない商売だということも勿論分かっていたし、
自分を大切にしない者のやることに感心を持つこともない。
もともと自分以外のことに感心が薄く、
子供達の進路についても何も関与せず
奥さんに任せっきりだった。
親子間に大した会話もなければ、
互いを理解しあうようなこともなかった。
子達も
他所の家庭に招かれた際、
そこの親子の仲睦まじい姿を見ると不思議に思ったという。
彼らにそんな経験がなかったからだ。

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やがて独立した子供たちも所帯を持ち、
たびたび家族で実家を訪れるようになった。
歳をとって親の苦労が分かったからか
許せるようになっていた。
彼らの幼い頃に比べれば遥かに穏やかな関係になったという。
離れたせいもあるだろうけど、
親も子も成長したのだろう。

だが現在同居する長男の見方は少々複雑だ。
家族に対する仕打ちといったら大袈裟だろうが、
母親と共に父親の馬鹿さ加減の被害者なのだという、
歪んだ心情がアタマから消え去ってくれない。
そんな彼も幾らかは成長し、
許せたり感謝する気持ちもあるようだが、
その粗野な生活態度から体中に爆弾を抱える今も
一向に悪びれない本人を見ていると、
今もなお心中はスッキリしないらしい。

そもそも彼は、
父親がその商売を始めた経緯すら知らなかった。
さほど強い興味も無かったし
父から説明されることも無かった。
母からは
「家業(漁業関係)を継ぐのがイヤで
 小学校出てから(!)東京に出てきて、
 それからある店で修行してウチの店をを開いた」
って程度の大雑把な説明しか聞いていなかったとか。
なにかスッキリしないものの
それ以上追求することはしなかった。

他に腑に落ちない点もあった。
「小学校を出てすぐ上京なんてあるのかよ」
ってとことである。
母親は東京出身で父は関西某県の出身であるが、
同じ都内の中学校を卒業している。
確かに不自然だ。

それでも確認することなく互いに歳をとった。

「それだけの無鉄砲するような人間だから
 その後の人生もあんな風になるんだろうよ」
といった理解に収まっていった。


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だが彼はある日、
近所の父親の古い知り合いから
意外な事実を知らされた。

父親の家庭は昔ながらの子沢山で
8人兄弟だった。
当時はとても貧しく、
女兄弟の多い中で長男だった父が、
自ら口減らしをかってでたらしい。

ようするに
当時の幼なき父は、
我が家の苦しい家計を案じ、
小学校を卒業と同時に
家計の負担を減らすために
自ら家を出たのだ。

勿論、
それを望んでいたわけはない。

そして、
既に都内に移り住み商売を始めていた
若干経済的余裕のあった親戚宅に身を寄せ、
そこから母と同じ中学校に通ったのだ。

それでも他所宅に世話になり続けるわけにもいかず、
中学卒業とともに働くことになる。
その時の勤め先(修行先)が今の商売の元となったわけである。

この父親、
彼が思っていたほど好き勝手やっていたわけじゃ
なかったのかもね。

話はまだ終わらない。

皮肉なもので、
その後父の実家も他の兄弟達も
それぞれが皆経済的に安定してゆくのとは反対に、
自ら悲劇のヒーローとなった彼の父は、
その犠牲が報われるような金銭的成功を収めることはなかった。
そのことの引け目も幾らかあったのか分からないが、
父親は自分の実家の人等や兄弟達を
息子達に会わせることはほとんどなかった。
なので彼らは皆母方の親戚しか知らない。
幼い頃はそのせいで、
他所の家より正月のお年玉がかなり少なかった。
その原因が父方の親戚がいない(会わない)
ことであるのは分かっていたが、
何かワケありなのだろうくらいには思っていたらしく、
特に聞かなかったようだ。

ただ実際は息子達が会わないだけで、
父兄弟の仲は今でも良好とのことである。

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彼がその話を聞いてから、
この家庭内での表立った変化は無い。
彼自身何か新たに行動を起こしたとかもない。

ただ彼曰く、
自分の考え方に大きな変化はあったという。

父さん今まで辛い中
僕らを育ててくれてありがとうとか、
そういうのもあるが
それ以上に、
どれほど自分の主義主張が正しかろうが、
所詮は自分一点からのものの見方に過ぎない、
ということだ。

勿論彼もこの件を知り、
父への長年に渡る一方的な意識を悔いたのだが、
それに気づくことで、
「客観的に物事を見る」とか
「事象を偏りなく俯瞰する」
「他人の立場で物事を捕らえる」
といったことが如何に難しいか、
あらためて思い知らされたという。

知っているか知らないかで
人生が大きく左右されることもある。
たかが一つ二つの情報で
劇的に解決する問題もある。
それらは意外にも身近なところにある。
しかし自分の心持次第で、
それを得る可能性を自ら閉ざしてしまう。

彼は言う。
問題は父親なのではなく、
心を閉ざしていた自分だったのではないかと。




たぶん次号で最後になります。


次号に続く。


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