2014年06月28日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第21回)

開花の遅い(4月下旬)天然記念物の鹽竈桜(宮城県塩釜市)

前回の続き。



自分に都合の悪い事実に向き合った時が
本当の学びなのだと、
前回の終わりに書いた。

持論でもなんでもなく他人の受け売りである。

だが向き合っただけでは
学びでも何でもない。

向き合った後に何かがある。

何か。

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意思決定である。
何かを決断することである。
何かを棄て、
新しい何かを始めることである。

大抵は混乱や犠牲を生む。
とても辛い作業になることも多い。
その意思決定が自分にとって
いかに重要であるかの証なんだろうな。
しかし、
リターンもまた大きいに違いない。

だが、
「何もしない」「同じで居続ける」
というのも意思決定に違いない。
まあウチなんかは
自分を大きく変化させる勇気も知恵もなかった、
というべきだろうが。
だがそれが結果的には
最大の防御となっていたとも考えられる。
侘しく垢抜けなかったせいで、
かえって競争に巻き込まれずに済んだのかもしれないから。
低価格や今風の華やかさなどをアピールすれば、
競合他社(大手)と同じ目線で捉えられ比べられてしまうからね。
負け戦の土俵に上がっては絶対にいけないのである。

一般に
変化しない(できない)ことは悪であるようだが、
この世の全てがそういうわけでもないだろう。

勿論結果論である。

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未来に期待の持てない?商売の元に育った
私のような者は、
なにかと自分ちの商売(親)を
嘆いたり愚痴ったりすることがある。

ところが
ブログなど書き続けて気づかされるが、
批判や文句を言っているが、
実は店(親)のことなど大して見ていなかった。
自分の感じる不満や疑念を、
自分自身で論理的に説明するのが意外に厄介なのだ。
覇気のない潰れかけ商店を見つければ、
恐らく誰でも悪いと「感じる」ことはできるが、
そこで語られる理由は悪口とどれほど違うというのか。
その情けないひ弱な店が潰れないでいる理由を、
満足に説明できるだろうか。

なんのことはない、
実は大して分かっていないのだ。
大して興味もないのだから。

だがヤバいのはそこではなく、
私達が実は分かっていないくせに
さも分かった気になってしまうことである。


鳥居を潜るとかなりキツい階段が:鹽竈神社にて(宮城県塩釜市)



「商売やるからには儲けなければ意味がない」

「商売やって利益出せなければ価値はない」

そう語る人は多い。当然である。
だがその理由こそ誰もが説明できなくてはいけないのだろうが、
尋ねられたことろで私たちの多くは
「だってそうでしょ」とか「常識じゃん」
くらいの返答しか返せないだろう。
ただ確実に言えることは、
「儲からないこと」が生み出すものはおよそ悲劇であり、
即ち儲からない=悪ということだ。

じゃあ、
儲からない商売を続けてきてしまった、
あるいは
比較的儲けにくい商売を選択してしまった、
あるいは
儲ける力が足りなかった
自分の親たちはどうなのか。

確かに批判されても仕方ないし、
それが悪であると断罪するのは自由だ。
しかしだからといって、
即ち自分の親が悪であると言い切れない気持ちは、
ご理解ただけると思う。
もちろんただの情である。
客観的論理的考察とは程遠い単なる「気持ち」に過ぎない。

で、こんなバカブログを書くことで
その「情」を突き抜けてみたくなった理由は何だったのか。
商売自体への興味も当然あるけど、
一番の理由は恐らく「感謝」なのだと思う。

ただの「情」とやらを解きほぐしてみたら、
どうもそれは「感謝」だったということだ。
歳をとったせいなのか、
ジワジワとくる何ともいえぬありがたみが、
身近な物事への興味を促進したのかもしれない。

だがそうなる理由なんて本当は何でもいい。
必要に駆られてやむを得ずでもいい。
敬意や感謝がなければそういう醒めた視線があっていい。
いずれにしても深く突き詰めることで
それなりの結果に辿り着くだろう。
少なくとも、
自分の経験(主観)+日K新聞やビジネス雑誌なんかで得た情報で
何か分かった気になるよりは100倍マシではと思っている。



実に変だとは思うけど、
私たちは自分達(の周り)を勝手に悲観しては、
外国や遠くの他人の物事を捉えて褒め称えるのが得意だ。
近くを見ないで遠くの何が分かるかは知らないがね。
私たちはどうも
自虐の思考が標準装備らしいから。
歴史を学ばないからこうなるのかな。
いや自虐思考だから歴史を学ばないのか。

話が逸れたついでだけど、
あなたが自分の親・先祖あるいは近所や地元について
深く調べたとする。
すると私と同じように
とてつもない敬意や感謝の念が
湧いてきたとしよう。
同様にあなたがわが国日本(の成り立ち・文化・歴史など)について
同じように深く学んだなら、
きっと「同様のもの」が得られるに違いない。

別にこじつけでも誇張でもなんでもない。
本当にそうなるからやってみといい。

「感謝や敬意」と「興味・関心」というのは
とても近い位置にいるのだとあらためて気づかされる。
どっちが先でもかまわないのだ。



〜ほんとに長くなって申し訳ない。
 なんとか次号で無事最終回といきたい。


次号に続く。



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