2014年08月03日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第22回・結)最終回・前編?

私の原点:地元神社の盆踊りにて

前回の続き。

この期に及んでなんだが、
写真屋ブログなんぞをやっていた私自身は
写真屋ではない。

なので技術的記述には限界があると当初から思っていた。
でも我が家のことならなんとか書けそうだし
興味のある人には楽しんでもらえると考えていた。

だが限界は結構早くやって来た感がある。

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私自身も写真やっていることもあるが、
知れば知るほど、
書けば書くほど自分の無知さが分かり、
撮影技術などへの言及に躊躇することが増えた。
素人ブログだし砂場の米粒みたいなもんだろうが、
公開するゆえそれなりに責任を持つべきだろうし、
いい加減なことは書きたくなかった。

以前も書いたことだが、
分かっていることを書くというよりも、
書き続けることで分かったことがある、
といった方がより正確であろう。

そうして得られたものは、
意外にも「恍惚」であった。

自分でも不思議だったけど、
書こうとすることで自分の中から
意見が浮き上がり、
他人の目を意識することでさらにまとまるのである。
自己満足といわれればその通りだが、
その何ともいえぬ痛快さは、
他のどの趣味娯楽でも味わえないものだった。
文章自体の上手下手はともかく、
ぐだぐだと8年近くも続けることができたのは、
そういう御褒美があったからなのかもしれない。

さらに、
自分で文章を書くようになると、
他人の文章にも注意がいくようになる。
すると結果的に
文の書き方だけでなく
ついでに知識も得られるようになる。
これもよかった点である。

実際に他人に物事を説明する時や
何か文章を書く時などにも、
読み書きが速くなったり
比喩や引用・過去の類似事象などの引き出しが増えたりと、
その経験が役に立っていると
最近になって実感できるようになった。

ただ残念ながら
もうネタ切れっぽい。
平凡な街の写真屋に
そう面白い出来事が起こってくれるはずもないのだ。
ウチの親もソフトランディングを狙っているような状況である。

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上に書いたように
ネタ切れも止める一因であるが、
ある人の書籍を読んでいて、
その中の一言に触発されたからでもある。
簡単に言うと、
「(ブログ等で)知らない遠くの人に話しかけて何になるというのか
 →それはコミュニケーションでもなんでもない」
「近くにいる人にこそ自分の考えを伝えるべき」
「書き続けたところで何も変わらない)」
というところだ。

8年もやっててなんだが、
その通りだと思った。
いや前から薄々そう感じてはいた。
こんなん続けてても何も変わらないと。
もともと備忘録に過ぎなかった駄文集ごときで
大きく世の中を変えらるワケないだろうし、
そんなつもりもなかった。
だけれども、
自分だけでなく
読んでくれた何人かの方々に
幾らか役に立ってくれればと思っていたのも本当である。

面白いもので、
「誰かのためになってくれれば」と思う方が、
自分のため(だけ)に頑張ろうというより
頑張れる気がしていた。
読んでくれている方々?とのバーチャルな関係を、
私が頭の中に勝手に作り上げていたから。
そいつを既存の人間関係のように感じていたし、
だからこそそいつを壊したくなかった。
もし本当に自分のためだけにやっていたのなら、
とっくに止めていただろう。
無責任に放り出しても問題ないわけだから。


ただ上に書いた通り
自分の考えをまとめたりするのには役に立った。
今後バーチャルではなく
リアルに身近な他人に何かを強く伝えたい時、
今回の経験が役に立ってくれると
感じている。

その頃には
私自身がこのブログの存在自体を忘れているだろうな。


私の原点その2:地元の祭りにて


さて、
ご覧いただいたように、
自意識過剰炸裂させながら
書き続けてきた当ブログも、
大した盛り上がりもないまま最終回を迎える。
ぐだぐだ尻すぼみ感は否めないが、
それだけネタを出し尽くしたとご理解いただけたなら
大変幸せである。
稚拙な駄文に長々お付き合いいただき、
心より感謝申し上げたい。
ただ、
こいつがどんなにショボかろうが、
搾り出したる私の軌跡道程の有様には違いない。
他人を描いていたつもりで実は
自分自身を晒してきたようである。
そこであらためて気づくのだ。
私がここまで五体満足生きてこれたのも
今まで関わった全ての人のお陰だということを。
こんな書き物でもそれを実感できる。
そして忘れてはいけないのは、
私が生まれ育ったこの街である。
その街を形成するのは
そこに住まい働く全ての人、
そして彼らの仕事それ自体。
その三者は不可分なのだ。
互いに影響し合いながらそれぞれを形作っているのだから。
故に私を作ったのは、
このわが街であると言ってもいい。
そして写真屋を営み街の一部となりながら
私ら餓鬼共を育てた、
我が両親である。
親兄弟親戚学友恩師仕事関係の方近所の人々、
これら全ての人々に
今後感謝を伝える機会は
どれほど残されているだろうか。
どのように感謝を伝えようか。

写真屋の子供でよかった。



さて、
本来ならここで仕舞いとなるのだが、
実はもう一つ書きたいことがある。
なのでまた書くことにする。
やるやる詐欺ならぬ止める止める詐欺のようでなんだが、
よければまたお付き合いいただきたい。


次号に続く。



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