2015年06月06日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第26回・最終回特別編其の4)

草鹿(くさじし)の様子:2015浅草流鏑馬にて

前回の続き。


20年ほど前だったか、
「問屋不要論」「卸業者不要論」
みたいなものが盛り上がった時があった。
また、
「価格破壊」なる言葉が
頻繁に登場した頃でもあったと思う。

どちらも
「中間(卸・問屋)を抜けば売価(小売)を安くできる」
という理屈のことであって、
それを是とする世間の空気があった。

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「中間を省けば本当に価格は下がるのだろうか」

「もしこの世から
 卸や問屋等中間業者が消えてしまったら、
 一体どうなってしまうのか」

一度でも本気で考えてみたことがあるだろうか。

私は実際に何人かの人に
コレを尋ねてみたことがあるが、
答えてくれた人は一人もいなかった。
まあ答えられないのは
分かっていないからだろうな。

それに加えて
「だって、真ん中省けばそりゃ安くあげられるだろうよ」と、
まるでそれが常識であるかの如く返される始末であった。
聞きたかったのはその理由の方なのに。
会話にすらなっていない。

といっても、
私もかつてそう思っていた一人である。
しかし後年色々経験させてもらってきて今現在、
それらは必ずしも正しくはないと確信している。

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で結論から言うと、

「中間業者を省くことでコストダウンになるのは
 ごく一部の企業や一部のビジネス・製品に限られる」

のである。

さらに重要なのは、

「中間業者はコストアップどころか
 実は社会全体のコストダウンに貢献しているのであって、
 彼らを省けば市中の物価は恐ろしいほどまでに
 跳ね上がるであろう」

とういうことである。


「真ん中抜いて安く〜」というのは、
そうやって低価格に成功した一部の企業、
あるいはそうしたい(してほしい)人々が
そう騒いでいただけの気がする。
確かに当時は革新的に感じていたし、
値段は安い方がいいからね。


だがしかし、
大雑把に中間業者というのは、
それ以外の川下川上業者の仕事の一部を
担ってくれている人たちなのだ。
つまり彼らを省いたところで
彼らの仕事を他の者が請け負わされることになるだけで、
手間費用激増して結局価格に転嫁させざるを得ない。
また彼らがいなければ
社会全体の取引数自体が増大して、
恐ろしく効率の悪い世の中となり、
どのみち待ち受けているのは超物価高社会なのだ。


未だに
「中間を省けば価格は下がる(下げられる)」
といい類が一般論の如く語られるが、
実にとんでもない話である。

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というように
強く言い切ってしまったし、
その根拠理由をさらに説明せねばなるまい。
詳しくは次回以降に回すが、
前置きとして
かなり単純化して説明させていただく。


あなたが小さな食品スーパーを開店したとする。
商品はもとより什器備品すべて
製造業者から直接購入することになるんだよ。
だって卸・問屋いらないんでしょ。
仮に一商品一製造業者とすると、
商品点数+什器備品の数が
ほぼイコール仕入先の数になるんだよ。
これがどれほど恐ろしいことか。

で、仮にそういう状況になったとする。
反対に仕入先の製造業者だって、
原料素材調味料など製粉会社とかから直接購入するしかないんだよ。
卸も問屋もいないんだから。

売るほうも迷惑な話だよね。
だって、
卸いてくれりゃ卸の数だけ帳合あればいいのに、
全国の大勢の小売が小口で買いにくるんだから。
決済業務だけでもどれだけの労力(人数)必要になるかな。
恐ろしいことになるよ。

こんな状況で本当に安くできんのかな?



再度問いたい。

本当に「中間業者省けば安くなる」のか。

「中間業者がこの世から消えたらどうなるのか」

本気で想像してみて欲しい。

次号に続く。


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