2017年07月23日

ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か(第29回・最終回特別編其の7・こんどこそ終わり)

平成29年三社祭にて(東京都台東区)
前回の続き


あなたは過去に、
初対面の人物にいきなり
年齢を聞かれたことがあるだろうか?。







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*このブログ前回でもうやめちまおうと思っていたんだけど、
 なんかやりたくなったので再開しようと思っています。
 ただ、このタイトルはもはや何の意味もないですし、
 ここでひとまず区切りとしておきます。


1年ほど前のある日、
私の勤務先に取引先の若者2名がやって来た。
ウチは製造業であるが、
彼等はお客、つまり卸し先である。
何を扱っているかは訳あって話せないが、
若干特殊であり自社でメンテナンスを可能にするためにも
製造工程を見せて欲しいということだった

で、そんな中、
私の一回り以上、
へたする私の子供かというくらいの若い一人が、
予想外な台詞を発した。

「○○さん(私のこと)、何歳ですか?」

あまりにも爽やかで嫌味なくサラと聞いてくるので、
呆気にとられ思わず即答してしまった。

失礼だなー最近の若いもんはーとかなんとか思いつつ、
過去にも似たケースがあったことを思い出した。

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随分前にこのブログにも書いたが、
私がウチの仕事(写真屋)に助手としてくっついていたとき、
ウチの父はお客さんに
「○○さん(私の父)ってさ、今何歳?」
と直接聞かれていたことがあった。

さらにお客さんはこう付け加えた。

「いやーね、○○さんとさ、あと何年お付き合いできるかなと思ってさ」

この言葉を素直に
額面通り受け取ってもよいものだろうか。

当時、既に若くない父と、
愛想もなく店を継ぐ気など微塵も感じさせなかったであろう当時の私。
そんな写真屋あと何年続くのかなと思ったとしても、
決して不思議ではなかろう。
そのお客はウチの父よりは一回りほど若そうだ。
当然だがまだまだ働かなければならない。
結局その人との仕事はそれが最後となった。

実際にその人とウチの親父との、
仕事へのパワーというか意識力みたいなものの違いが
当時の私にも感じられたし、
そういう結末は必然だったのかもしれない。

バブルの頃にウチにも
大手都市銀から営業に来たことがあったという話も書いたっけ。
単なる様子見程度かと思うが、
あの頃を思い返せば銀行はとにかく貸したかったのだろう。
だが借りなかったし恐らく貸してもくれなかったに違いない。
単なる想像にすぎないが、
ウチの店や写真屋稼業への評価もさることながら、
跡継ぎも無くもはや長くはないと思われていたのではないか。
未来の見えないものを戦略的とは言わないし、
当然そこに人やカネが集まることはないだろう。


冒頭の卸し先の若者の真意は分かりかねるが、
働く者にとって
取引先の情報収集が
極めて大事なことには違いない。


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しかしながら、
カネの有無や若さなんてのは単なる要素の一つなのであって、
欲望レベルの高い者なら
条件がどうであれ何かしらやってのけるはずである。
後継者どうのなんて関係ない。
今現在しんどい状況にある商売人の多くは恐らく、
時代に合わせて自分を変えられなかった人なのだろう。
ウチを含めてね。

つまりウマくいっていない人って、
単に欲望度合いが低いだけな場合もあると思う。
欲が浅いからすぐ諦めるし
深く追求することもない。
だから新しい何か(情報)を知り刺激されるということもない。
外部(他者)への興味が希薄なのだ。
そのことは
商売相手(客・取引先)に対してだけでなく、
自分たちが難局を凌ごうとする際にも言えないだろうか。
ひどく苦しんでいても自分たちだけでどうにかしようとする。
他者の手を借りようともしないし話も聞かない。
自分で幾ら考えても変わらないんだから他人のアタマ拝借した方がラクなのにと思う。
結局同じことをまた繰り返すだけになる。

環境の変化に自分を適合させられなかった生き物(恐竜等)は
滅びるという話は有名だしよく分かるけれども、
そういう
「自分を変える」とかいう類が如何に難しいか。
私もそうだが、
年老いた者には尚更酷な話である。
ただでさえ気力体力等が
加齢と供に低減していくというのに。

それでも
私たちは食っていかねばならない。

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さて、
ちっぽけな写真屋がどのように生きていくべきか的なことを
散々偉そうに書いてきた当ブログであるが、
その内訳は、
妄想に基づいた暴論か単なる方法論だ。
強いて言えば「戦略」に対して「戦術」に相当する部分である。
本来なら益々混迷を極める今後において
熟慮し実施すべきはグランドデザインの方、
つまり「戦略」なのだろう。
小手先をちょっとイジったくらいで何も変わらないのは分かる。
しかしこれまで書いてきた通り、
我々ジジババにもはや自分を大きく変える力は無に近しい。
ならばどうするか。

矛盾を承知で言わせていただくが、
それでも私たちに必要なのは「戦術」である。
なぜなら私たちには
『稼ぐ時間自体』が残り少なく、
中長期的な戦略構築などがもう意味を為さないからだ。
労が多いわりにはリターンを得るまでに時間がかかり、
それまで店(命)が持たない。
そもそもそんな芸当が可能なら苦労はしていないのだ。

つまり、
店仕舞いが近いウチみたいなところとしては、
「残り少ない期間でいかに小銭を増やすか」
といったことに注力した方が利口で合理的だ。
だから「小手先」の情報でいい。
幸いなことに、
もともとちっぽけな商売である。
利害関係者も少ないし。
従業員も数名かゼロである。
自分たち家族が食っていければいい。

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だがしかしである。

繰り返しになるが、
若くはないから何をやるにしても遅いし精度も落ちる。
そもそも硬い頭とカラダに
新しいモノを受け入れさせ
実践させることほど難しいものはない。ならどうするか。

「行動が変われば意識が変わる」みたいに書いたけど、
「知識が増えれば行動が変わる」というのも
ある程度は事実だと考えている。
だって人の欲求には理由があるでしょう。
それは過去にどこかで得てきた知識が源泉なんだよね。
そこに自覚がないだけでさ。
何もないのにいきなり欲望レベルの高い人なんていないと思う。
そうなるきっかけ(情報)が過去にあったからそうなったのだ。
行動が人を変えるのと同様に、
知識(情報)もまた人(の行動)を変えるのだと考える。
そのためにこのブログを書いてきたと言ってもいい。


あまりイイ話とは言えないけれども
ここで書いたことを
私は実際に親に言い続けてきたし、
実際に自分でやって見せたりもしてきた。
ご想像つくかと思うが、
他者からの押し付けというのは
身内であっても嫌がられるものだ。
「自分の心配してろ」とか何度も言われた。
本当は自分でもそう思っている。
ただやはり身近にあることだしダメなものはダメなのだと、
どうしても気になってしまう。
「他人が気になるのは自分がウマくいっていない証拠」だとか
「他人を変えようということ自体が筋違いかな」とか思いつつも、
このブログを書き続ける一方で私は、
そういうグダグダを何年にも渡ってやってきたのである。
その結果というのも可笑しいが、
一時の絶望からは脱したのは事実である。
勿論頑張ったのは私ではなく親である。
そこに私自身がどの程度貢献できたかは不明だが、
少なくとも
私が全く関与しなかったことを想像すれば遥かにグッドだ、とは言える。
もちろんコレも結果論にすぎない。


最近親の様子を見ていると、
もうさすがにカラダもしんどいようで、
このまま静かに終えようかなという雰囲気にはなっている。
もちろん私はそれで構わない。


そして、
今後より一層頑張らなくてはいけないのは
自分自身だという念を、
今更強く噛み締めている次第である。


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ちょっとした自己顕示欲みたいなものが動機となり、
一人でも多くの人に読んで欲しく書いてきたけど、
暗にウチの親に聞かせるという体で書いてきたものである。
単なる備忘録のようでいて実は、
我が家改革のためのネタ帳でもあった。
そして図らずも、
文章を書く、
書き続けるということが、
アタマに備わっていた「以上」のもの、
単に文章そのもの以上の何かを生み出すことを
身をもって体験させていただいたのは、
正に望外の幸せであった。



 『ブログ7周年記念〜戦略的写真屋とは何か』終わり


 ブログ『東京下町バカ写真屋』一旦おしまいです。

 長い間本当にあいがとうございました。

 ですが冒頭に書きましたように、

 何らかの形(もっと気軽でコンパクトなヤツ)で近日再開しますので

 また宜しくお願いします。

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